音楽療法における共時性の追求-2-

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音楽療法コラム -Ⅴ-

音楽療法における共時性の追求 -2-

~亀 が持つさまざまな意味とは~


さて、(2)では、実験心理学のひとつである動物心理学がご専攻だった友人A氏との対談で、この「音楽療法における共時性の追求」について、一考してみたいと思います。

A氏: 亀の話いいですね。偶然とは何か、必然とはなにか、偶然のようで必然、必然のようで偶然などいろいろなことを考えました。偶然のように見えるけど、自分の心の中に目に見えない形で少しずつ積み上がってきたものがある時点で、偶然の力を借りて湧き出てくるんですね。そういう意味ではこの偶然は必然に近く、このような偶然がいくつか重なって共時性のような関係が生まれるのでしょうか?
棚からボタ餅とよく言うけれど、そのようなタイミングで棚の下にいるようになるためにはそれまで相当の訓練や洞察がいるんでしょうね。
人間の内面の力ってすごいですね。また、それを引き出した中井さんの共感力や能力も素晴らしいと思います。

中井: 「共時性」が起こる「しくみ」のようなものがあるのかどうか、というところまではまだ確信に及んでいないのですが、研ぎ澄まされた五感が呼び起こすのであろう「第六感」という感覚が存在する以上、長い間に積み上げられた経験が呼び覚ます「必然的偶然」もあるはずだ、と信じたいな、とは思っています。
でもそれは、「第六感」が想定内のものであろうと同じく、計画の積み上げによって引き寄せることができたものでありたいのです。 “まぐれ”ではなく。

A氏: 亀って仏語だと“tortue”だけど、拷問も“torture”で似た感じの単語。「折り曲げる」っていうのは“tordre”だからこれも近いような?と思って以前調べたら、英語も同じだけど“tor”っていうのは、「折り曲げる」とかそんな感じの単語に使うらしいです。で、亀の手足は曲がっているので、“tor”がついたし、拷問も痛いように手足を曲げるから“tor”所以の単語。だから亀の手足をさらに折り曲げてブリッジさせたりするのはまさに“tor”x2ですね。
ちなみに亀は夢では金運、幸運、長寿のほかに硬い甲羅から連想されるので、守りや防御の意味もあるらしいです。
ひろちゃんは、亀を逆さにしたり、ブリッジさせたりする過程で、これまで自我の中で防御してきたものを、遊びの中で一回壊して再生させていたのかもしれませんね。

中井: 「亀」 の語の分析の試み、興味深いですね。もしそうだとすると、これも一つのすさまじい偶然の重なりだったと言えるかもしれません。さらに、そうした「意味の固まり」の「亀」でなければならなかった、「鶴」でも「うさぎ」でもなく、と言いたくもなりますね(笑)。

A氏: よくデジタル時計をみた時に、3時33分とかゾロ目になっていると、なんだか超能力があるみたいに思う時があるけど、それは無数に時計を見る機会があるけどそれはいちいち覚えていなくて、たまたまゾロ目の時だと印象深くエピソード記憶として長期記憶に格納されたから。だから、時計を見たときにゾロ目だと、そういえば前にも同じことがあったなぁと不思議に感じるらしいです。
「共時性」も、いろいろな偶然のなかでたまたま起こっただけで、ゾロ目のように人間の記憶の特性によるもの、つまり単なる偶然と考えることもできるけど、それ以上のものがあるときもあるようにも思います。
他の例では、お昼に外でカレーを食べたら家の夕食もカレーだったなんてことはよくあるけど、家族は同じようなものを食べているんだから、栄養の偏りもおなじ。だから同じタイミングでカレーを食べたくなるのは不思議なことではないと思います。でも、こういうことってなんとなく不思議な感じでよく覚えているというのが人間の記憶ですよね。でも「共時性」っていうのはそんなことじゃなくて、偶然の連なりの途中から、潜在意識や深層心理が作用して偶然の装いの必然が生まれてきて、その心理過程が共感関係のある人との間で言葉によるコミュニケーションを介在しないで共有されるもの。そして、何らかのきっかけで、象徴的なイベントとして、まさに機が熟したって感じで外在化するんだろうけど、やっぱりあるんでしょうねぇ。さきほどのカレーの例はみな思い当たるけど、共感関係のある他者同士で同じような感じ方や、情緒的側面、感動を共有するとそこに同じような心理過程が生まれて、あるときに、何かをきっかけにしてまさしく心の中から同じような意識が湧き出てくるのかもしれませんね。そういった意味で共時性はあると思うけど、そこに亀とか、ユングでいえば黄金虫とか、共時性にモノが介在するという部分がどうもよくわかりません。そこの部分があるからどうしても共時性はオカルト的にとらえられるのでしょうね。モノが介在するかどうかはさておき、心理過程として必然的なものが偶然のように共時的に表出するということはあると思います。で、ここから先は解釈的なことになってしまうけど、きっと、ひろちゃんの亀は黄金虫だったんでしょうね。
それに、亀っていうのはやっぱり、何か頑なに護ってきたものの象徴のように思えるし、それに無理な格好をさせたり、ひっくり返したりっていうのは、まさしく頑ななものを壊すようだし。また、亀の産卵の話と合わせると、頑なに護ってきた何かをついに壊して捨てる時がきて、それを卵という形で再生するという象徴かもしれないし。私は動物心理学をかじっただけなので、心理分析のことはよくわからないけど、卵ってヘッセのデミアンにも出てきたくらいで、何やら象徴的意味を持つものらしい。今回のひろちゃんのお話はいろいろな示唆に富んでいるようですね。

中井: 感覚の話を客観的に言語化するのって、いつもこれほどしちめんどくさいことはないと思うようなことなのに、Aさんは細かいところまで着実に痒いところに手の届く話をまとめてゆく事ができるんですね。
心理学って、特に「集合無意識」のレベルでは神話とも不可分な領域に入るから、Aさんの話が明らかにそこまで意識して進められてるのはよく分かります。
亀には、これだけの象徴性がある、ということは、ご存知の方も多いかもしれません。
そうなると、亀じゃなきゃ出て来なかったかもしれない「リビドー」の話にも言及できるのかもしれませんね。
そう言うと誤解されてしまうかもしれませんが、「さまざまな欲求に変換が可能な心的エネルギー」としての「リビドー」のことです。フロイトが初めに言った意味ではなく。…後に再定義した方に近いのかな?
私は、リビドーは創造性に発揮された時に最も大きな噴出力を与えるエネルギーになると考えているので、ひろちゃんのリビドーが刺激された、と考えてしまえば、意外にシンプルに腑には落ちるのですが…その辺はどう思われますか?

テーマがさらに発展して来ましたので、つづきは次のコラムで。

つづく

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