心理療法としての音楽療法と、音楽療法という名のソーシャル・スキル・トレーニングの違いについて

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音楽療法コラム -Ⅷ-

心理療法としての音楽療法と、音楽療法という名のソーシャル・スキル・トレーニングの違いについて


先日、小学校 3年生の頃から音楽室に通ってくれているある高1のお子さん…敢えてここではBくんとしたいと思いますが、その、高等学校の課外活動としての音楽療法を見学させていただいて来ました。
どうして伺うことにしたかというと、お母さまから、「うちの子が、ここ(音楽室)では嬉々として歌ったり楽器を鳴らしたりしているのに、そこでは時には声を上げて参加を嫌がり、『おしまい!帰る!』と言ったり、ゴロゴロしたりして、ちっとも参加しないんです。」と伺ったからです。

そのお話を伺った時、すぐに想定できたのは、おそらくそこで扱っている音楽が、音楽として使われていないようなことになっているからだろう、ということでした。

Bくんは、完璧に歌える歌は、声変わりして以来、今は1曲ですが、小学校の頃から声がとてもよく、当時は♪世界がひとつになるまで や♪Believe や♪勇気100%を正確な音程とリズムで歌いこなしてきました。
私の即興の歌をエコーしたりするのは得意でしたし、今では、C,D,E,F…の音程記号表を見ながら、知っている歌、たとえば♪紅葉 のメロディー奏もこなせます。伴奏を聞きながら、速くなったりもしません。
そしてそんな時、彼はうっとりしています。
さて、 Bくんの課外活動は、私が海外に行っていた間、ずっと Bくんの音楽療法を担当していてくれたパートナーの恵津子先生と一緒に見学してきました。

さとちゃん-2.JPGこの日は、 Bくんのコンディション的にはほぼ最悪のご機嫌でした。雨がそぼ降るお天気は暗く寒くて、落ち着きのない女の子が一人、みんなと同じようには椅子に座らずに、床に座り込んで、自分の荷物をいじりながら、「ギャーーーー」といういとも不快感を与えるような大声を、ひっきりなしに上げています。
そして、そうは言ってもきっと、楽しい音楽のプログラムもあるはず、と思って伺ったのですが、セッションの音楽がより良い「音楽」ではない、という状況は、伺う前の予測以上に、その通りだったのでした。

ここからは、一緒に行ってくれた恵津子先生のレポートですが、

<大きな声を出す女の子は、私たちが着いた時は、すでに床に座っていて、プログラムが進むにつれ、メインセラピストに近づくように這いずって行きました。大きな声を出すものの、メインセラピストが出す課題、例えば、“あ”の口でしっかりと発音するなど、は、きちんとこなしています。しかも、話し声で応えることができているのです。
メインセラピストとピアニストのセラピスト以外の 2名のセラピストは、他のみんなの輪の中にいて、女の子は床に座っているからか、他のセラピストは近くに寄っていきません。なぜ??? 肩でも抱きながら横で一緒に歌ってあげるだけで落ち着きそうなものなのに。 おもしろかったのは、♪勇気 100%で、ピアノの和音がメロディーと合わなかった時に、その女の子は、一瞬大きな声を止めてピアノの方を見ていました。>

私が拝見した限りでは、その女の子の奇声は、先生を呼んでいて、甘えたくて出しているものに思われました。それを裏づけるように、メインセラピストでなくても、誰かセラピストが、この場合は何とか声を落とさせようとして彼女の目の前にしゃがんで目を合わせ、何か話しかけるだけで、奇声は止み、普通の声で話すことさえできていたのです。

そこで、 Bくんのお母さんに、「誰かベタ付きすればいいんですよねぇ…」と耳打ちすると、
「要領が悪いんでしょうかねぇ…」とおっしゃっていたのですが、ここはメインセラピストが、輪の中にいる2人のセラピストの1人に「ついていて」と一言頼めば済むことです。

一方 Bくんは、その子の声がする度に耳を塞いでその子を見ていました。
そのうち、耐え切れずに自分の頭を両手で殴りつける自傷行為を始め、泣き出してしまいました。

他にも、その子の声が耐えられない、とちゃんと言葉で訴えることができる上級生の少年もいました。
「もうその声、聞きたくないんだ。ねえ、どうすればいいの?」
メインセラピストに、もう少ししたら落ち着くと思うから、と我慢を強いられたその少年は、しまいには何とかして部屋を出られる口実を探そうと躍起になっていました。
「お兄さんが怒る?」…いつもこの日お迎えに来るのはお兄さんなのかもしれません。
もうお兄さんが迎えに来て待っているから、早く行かないと怒るから、もう退室していい?と聞きたかったのかもしれませんね。

また、恵津子先生のレポートを挟みます。

<プログラムの進行としては…。途中から参観したのですが、①♪ビリーブを歌う。② “あ・い・う・え・お”の口のカタチが書いてあるカードを使用して、同じ口の形で発声する。③太鼓を使って、順番に交互奏(♪勇気100%)。~その後、ちょっと凝ったリズムを提示して、そのエコーをしてもらう。④♪会いたかった( AKB48)を、振付をしながら踊る。⑤“バイバイ”を、メインセラピストが付けるさまざまな音程でエコーして、一人一人挨拶。~その後、そのモチーフが入ったさようならの歌を歌っておしまい。>

さとちゃん-1.JPGBくんは、①♪Believe はちょっと歌っていましたし、②も③も要求されるままに正確に返せていました。そして、その後の、ちょっと凝ったリズムのエコー、というのはおそらくその場の誰よりも正確でした。こういうのは得意なんです。でも、④にはまったく応じませんでした。モデラーを見もしません。振り付けされた踊りは苦手な Bくんです。さらに、⑤に至っては、参加したての頃、あまりに正確にメインセラピストの音程をエコーできるものだから、メインセラピストが面白くなってしまったのか、お母さまが、もうやめた方が…と思うほどたくさん繰り返させてしまったことがあり、以来やらなくなってしまった、とのことでした。
その間、ついに最初から最後まで、その女の子の奇声は止みませんでした。

それではまとめてみましょう。

(1)音楽の使われ方について

まず、歌はどれも、歌い出しから歌詞の終わりまでで切れてしまい、前奏(歌いたい気持ちの盛り上げ)も後奏(余韻を楽しむ)もありませんでした。
そして、タンバーの交互奏やフレーズのエコーなどに、こどもたち側の自由がまったくないだけでなく、そのタンバーの音は、決して使われていた曲に合っている音とは言えませんでした。リズムもです。

そうした活動から見えてくるセラピストの療法目的は、より正確な音程、発音、基本拍やリズムの獲得による音楽表現技術の向上に大いに期待しつつも、これを、つまり音楽の持つルールを、対人的なスキル、いわばソーシャル・スキルを鍛えるのに利用することにあるように見えました。

できてもできなくても、やれば「はい上手!」と大きな声で掛けられる賞賛も、できたかできなかったかを自己判定できる子にとっては向上心を削いでしまう可能性があるし、自己判定できない子にとっては、上手にできるかどうかが大事なんだ、という誤解につながってしまう可能性があります。

特定の問題行動があり、これを改善する目的に音楽を使うという行動療法的な音楽療法ももちろんありますが、この場合はそれではなく、グループセッションで、音楽を、音楽するためではなく、ソーシャル・スキル・トレーニングのために使い、メンバーそれぞれが音楽することとは別の不満を募らせた結果、逆に問題行動を誘発している、というケースにも思われました。となると、これでは心理療法ではないので、音楽療法とは言えません。

心理療法としての音楽療法では、こうしたやりとりゲーム的な活動を、活発な発達段階にある未就学児~小学校 2,3 年生までの間に、本人が嬉々としてやりたがり、自らリクエストさえし出す時期があり、一部プレイソングやゲームとして使うことはあっても、こうしたプログラムが全部、などというセッションはあり得ません。そういうプログラムこそは、本人がやりたがるからやる、という、むしろご褒美的なプログラムだからこそ心理療法としての意味が増すものだと思います。
それを、高校生のソーシャル・スキル・トレーニングに「音楽療法」と称して音楽を使ってしまっては、もしこどもたちが「音楽」に「訓練」のイメージを重ね合わせるようになりでもしたら、「音楽療法」と聞いただけで、後々アレルギーを起こす成人が出てくるのではないかと心配です。

(2) Bくんにとっての意味

女の子が一人、終始上げていたというその大声は、ちょうど Bくんが、とても調子が悪いときに、あるいは何か「できない!」と思うことがあって辛いときに、パニックを起こして荒れて出す声と同じような質とボリュームの声でした。
これについては、観ていればすぐに、この子が、先生に甘えていて、先生に1対1で構ってもらいたくて出している声なのだ、ということは分かりましたから、つまり、その女の子にとってのその声の意味と、 Bくんにとってのそういう声の意味とは、それぞれの中でまったく違ったものだったのです。

Bくんは、先生に要求される活動を難なくこなすことができましたが、行動的には先生の指示にすんなり従いながらも、ずっと泣きながら「おしまいしよう!もう帰ろう!」と言い、時には私たちの方に、救いを求めるような視線を投げてさえ来ました。

そこで、 Bくんがなぜ、このように辛そうであったのかについて、私は次のように解釈し、お母さまにお伝えしました。


1. B くんにとって、この場の音楽は Bくんの知る、楽しくて歌いたくなる音楽になっていなかった。

2. B くんにとって、その女の子の声は、自分の嫌な感情をフラッシュバックさせる凶器になってしまっていた。

3. B くんにとって、この場の目的は、音楽を使ってする活動としてはもうクリアできているので、あらためてトレーニングする必要があるものではないのではないように思われた。


(3)音楽療法が心理療法であるためには

認定校で音楽療法を学ぶ学生たちの中には、今日見たようなプログラムの立て方を教わって卒業して来る人たちがたくさんいるものと思われますが、音楽療法は全世界的に、「心理療法」として必要とされてきたものであることを忘れてはなりません。
そして、心理療法としての音楽療法は、これを受ける対象にとって、少なくとも以下のようなものでなくてはなりません。

第一に「(対象が)より深く理解されるため」に行われなければなりません。これはいつでももっとも大切なことで、対象者たちの苦しそうな表情や態度・行動に、それがソーシャル・スキルであるとかモラルであるとかいうことで安易に我慢を強いたりすれば、“なぜそういうことがいまここで起こっているのか”ということを、ひいては“彼(彼女)が苦しい本当の理由”というものを、理解するチャンスを放棄することになります。

第二に「音楽に癒され」なければなりません。音楽は、副交感神経を刺激し、緊張を和らげ、リラックスした状態での集中力を増すものだからこそ、セラピーに使われる価値があるのです。

第三に「気持ちが高揚」してくるようでなければなりません。個人であろうがグループであろうが、気分が良くなって、自己肯定感が高まり、テンションが上がって、他者とともに遊びたい(関わりたい、演奏し合いたい)気持ちを強めるからこそ、音楽はセラピーになるのです。
自信がついて穏やかになる、という過程を目指せなければなりません。

第四に「自らの演奏」が、よりよい音楽の中で活かされ、音楽との一体感を得られるようなものでなくてはなりません。音が増えて煩くなるのであれば、セラピストはそれでもその全ての音を包み込めるように、音楽そのものを拡大すべきです。音の大きさは、対象となる人たちそれぞれのエネルギーに比例します。そのエネルギーには、ポジティブなものもあればネガティブなものもありますが、包み込んであげられれば、響き合いが聞き合いにつながり、まさに「音楽」としての流れに乗った自由な調和が生まれます。

そして、こどもたちは、そうした音楽体験の中で、自らさまざまな事を学習していくのです。これらのことは、決してセラピストが教えるのではありません。
よりよい「音楽」によって、攻めても逃げても包み込んで心を豊かにしてくれるより Wonderfulな「音楽」によって、自ら学んでいくのです

中井深雪

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