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オグデン著「自閉-隣接態勢について」(季刊『精神療法』1989-7)

 










 

書評:T.H.オグデン著『自閉-隣接態勢について 』
On the concept of an autistic-contiguous position.

Thomas H. Ogden, San Francisco. Int. J. Psycho-Anal., 70 127-140, 1989.
福本修(『季刊精神療法』にて1989年7月紹介)

 英国対象関係論のこの20年の発展は、Klein(例えば妄想分裂態勢・抑欝態勢の概念)、Winnicott(母子関係・移行現象について)、Fairbairn(内的対象世界)、Bion(防衛・意思伝達・包含containmentの原子的形態としての投影同一化の概念化)らの仕事を出発点にしている。

 Esther Bick、Donald Meltzer、Frances Tustinらは、自閉症児との臨床を通して、妄想分裂態勢よりさらに原始的な人間経験の次元を探求した。著者はそれらを総括して自閉-隣接態勢(autistic-contiguous position)と名付け、臨床的理論的意義を考察しようとしている。この概念は「態勢」として定義されていることからわかるように、発達の一段階というよりは、人間の心的機制の一つであり、妄想分裂態勢・抑欝態勢と通時的共時的に存在し、それらと弁証法的な関係を持つ。それは乳児やいわゆる自閉症児に限らず、強迫症・分裂病などあらゆる心的状態に通底して認められる。

 自閉的(autistic)という語は普通病理的な状態を形容するが、著者はそれを正常な構造の特徴である防衛、経験の意味づけ方、対象との関係などが肥大し硬直化した形だと考えている。

 また隣接的(contiguous)という語が選ばれたのは、表面の触れ合う経験がこの構造の基本的な媒体だからである。

 自閉-隣接構造は、感覚的印象の間に前-象徴的な(pre-symbolic)結合を形成することによって生の感覚データを秩序づけ、経験に意味を与える特定の様式である。感覚的印象は仕切られた表面を構成し、経験が生まれる場所の感覚を提供する。その場とは皮膚(skin)である。フロイトもまた『自我とエス』の中で身体自我、つまり身体表面の身体感覚から生じた最初の自我について述べている。

 Tustinは、自閉一隣接態勢における経験を形づくる、対象との関係の持ち方を二種類記述した。一つは、「自閉的輪郭」(autistic shapes)を創り出すことである。これは椅子に座った感触から椅子を捨象したような、「感じられた輪郭」として物体性の概念を含まない経験である。表面への柔らかい接触(例えば母子間の)は感覚的印象を生み、自己の凝集感・対象となりつつあるものを認知する経験を促進する。

 それに対して「自閉的対象」(autistic objects)は、(乳児が)肌に強く押しつけられたときに作られる、硬い角張った感覚表面を経験することである。これは自閉的輪郭と対照的で、露出して脆弱な表面を区切り保護する境界線の感覚印象は、安全を確保する殻となる。

 病理的自閉状態では、自閉的輪郭及び対象の完全に隔離された閉鎖体系が作り出されると同時に、未知のもの・予測不能なものは全く排除され、移行現象や潜在的心理空間の余地がない。

 ところで、各態勢には、その経験様式に固有の不安がある。自閉一隣接態勢には、感覚的凝集性と有界性(boundedness)が崩壊する不安がある。そこには、感覚表面・「安全のリズム」が解体する経験や、漏洩する・消散する・消失する・形がない無限定空間へ拡散するなどの感情が含まれている。侵入される空想は裂かれたり突き刺されたりする空想に等しい。

 自閉-隣接態勢の防衛は、自己の初期の統合性が依存している、仕切られた感覚表面と秩序づけられたリズム性の連続性を再建するためになされる。例えば面接中の髪いじり、足踏み、舌打ちなどにそのような意味が認められることがある。Bickは、皮膚表面の凝集感が損なわれていくことに対して代理物を形成する、「第二皮膚の形成」を論じた。Meltzerは、解体不安を和らげるために対象へ防衛的に粘着することを「粘着同一化」(adhesive identification)と呼んだ。物真似や模倣は、対象の表面を自分自身のもののように扱おうとして用いられる方法である。それは「内的空間の感覚」を持つ投影同一化や摂取同一化よりも原始的なものであり、対象の二次元的表面の一部への同一化によって、辛うじて自己の解体不安を防衛している。Tustinは対象の経験され方を考慮し、この状態を「粘着等式」(adhesive equation)と形容し直した。

 上記のように、自閉一隣接態勢には三次元的な意味での内在化は存在しないが、模倣の過程によってなされる変化がある。そこでは表面の形の変化が、外的対象との関係による影響の結果として経験される。病的自閉症では、表面的模倣が反響言語や同語反復の形で現われる。

 著者はさらに各態勢の関係やその他の項について臨床例を挙げ、詳しく論じている。

 
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