メラニー・クライン、乳児の発見(『現代思想』)
福本 修
1980年代から世界的に母子の精神保健への関心が高まり、乳幼児精神医学が成立し、臨床・研究活動が各地で積極的に進められている。それは、乳幼児(特にその認知機能)を対象とした発達心理学・母子相互作用の実験的解明など、いずれも実証的な研究が発達したことと、母子を取り巻く環境が劣化していく中で社会的要請が強まってきたこと、更には、退潮となった精神分析が活動の場を見出そうとしたことの合流と考えられる。その結果、乳児は無思考・無感情で単なる刺激−反応の反射の束なのでも自足的・自閉的状態にあるのでもなく、新生児の段階から環界と対象を的確に把握して活発な交流を行なっていることが明らかとなった。これは乳児に独立した心の存在を認める、いわば<乳児>の発見である。
しかしそれは、実験が可能な認知的側面と観察可能な行動面に比重を置いた理解でもある。愛着のパターンや精神病理の世代間伝達が論じられても、乳幼児の心で時々刻々と何が起きているのか、それがどのような内的世界を持つのかについては、確証がないので慎重に留保されている。大半の時間眠っているか泣いているかに見える乳児が、平穏なときには知的活動を行なっていることは知られるようになった。では、彼らの情緒生活はどのようなものだろうか。
その解明を行なってきたのが、精神分析である。だが、それは直線的な道程ではなかった。フロイト的無意識とは、抑圧された性的欲動が人間の心的生活の背後にあることの発見である。前性器的な小児性欲に注目することで、フロイトは「大人の中の子供」を発見したと言われる。しかしそこでの対象は、情動的関係にある対象と言うよりまずは欲動の対象である。つまり、欲動が充足されれば直ちに不要となる対象である。それが無意識の力動を構成するにしても、心的生活の全てではないことは明らかだろう。続いて彼が研究したのは、対象関係を持ち同一化する対象である。それは必然的に、自我の機能(特に防衛機制)と発達の研究を促した。
エスから自我に焦点を移動した自我心理学は、母子が分離していく前段階として「正常な自閉期」「母親との共生期」(M. Mahler)といった図式を想定した。そこでは乳幼児の心理学的誕生を、ゼロ才の時点ではなくてもっと先のこととしている。それを修正したのが80年代に発表された研究である。このような遅々とした歩みに関わりなく、1920年代から原始的心性の中に直接飛び込むパイオニアの仕事をしていたのが、メラニー・クライン(1882−1960)である。以下では、その足跡を簡略ながら辿ってみよう。
1.
「私の自己分析は実際のところ、私にとって現在最も重要なもので、それが終わりまで辿り着けば、私にとって最も価値のあるものとなる見込があります」。1897年10月15日、フロイトは父親の一周忌を目前にして、このように始まる手紙をフリースに宛てて書いた。精神分析の領域に『オイディプス王』が初めて登場した日である。彼の自己分析は、自分の夢や断片的な記憶を素材として、自由連想と事実との対照によって過去を再構成するとともに自分の欲望の在処を確認することにあった。幼少期に消えた乳母の謎を論じてから、彼は提唱した。「・・自分に完全に正直になることは、良い練習です。普遍的価値のある一つの考えが浮かびました。自分自身の場合もそうですが、私は母親に恋愛し父親に嫉妬するということを見出しました。そして私は今やそれを、ヒステリーにならされた子供の場合ほど早くはなくても、子供時代の早期に普遍的な出来事と考えています。(英雄、宗教の創始者といった、パラノイアにおける血統の創造に類似しています。)もしそうなら、われわれは『オイディプス王』が、理性の掲げる運命の前提へのあらゆる反対にもかかわらず、人の心を捉える力を理解できます。そして、なぜ後の「運命ドラマ」が悲惨な失敗をせざるを得なかったか、理解できます。われわれの感情は、『女祖先Ahnfrau』や似た劇に前提されているような恣意的な個々の強迫には逆らいます。しかし、ギリシャの伝説が捉えるのは、誰もが認める強迫です。なぜなら、誰もが自分の中にその存在を感じるからです。観客はみな、かつて空想の中でオイディプスの卵だったのであり、劇では実行に移された夢の充足から恐れおののいて後退りし、全力で抑圧することで、自分の幼児的状態を現在の状態から切り離しているのです」。
「エディプス・コンプレックス」の概念が実際にフロイトの精神分析の中核を占めるようになるまでには、ここから更に20年以上待たなければならない。それは、超自我の概念を導入したことによって、「エディプス・コンプレックス」が心の構造化と関わることが明らかにされてからのことである。だが、理性を超えた情動の力は、既に記載されている。一般にこのコンプレックスの内容として理解されるのは、異性の親への愛着と同性の親への競争心である。フロイトがここで指摘しているのは、愛情と嫉妬という感情と大人の男女関係の力学が、ともに幼児期に起源を持つということである。彼はその証拠を、自分自身の経験の中に見た。「・・後に(二才と二才半の間に)母親に対する私のリビドーが目覚めたこと、ライプチヒからウィーンへの旅行で夜を母親と一緒に過ごした折りに、彼女の裸身を目にする機会があったに違いないこと、一才若い弟(数ヶ月後に亡くなったが)に不幸を願い心からの子供の嫉妬で迎えたこと、彼の死が自分の中に呵責の種を残したこと」(1897年10月3日)が、自己分析によって回復された。彼が抱いたライヴァルへの殺意・罪悪感は、コンプレックスの一部である。彼は小児が性欲を持っていること、性的欲望の抑圧が神経症の病因として働きうることを主張して世間を驚かせたとされているが、実際には、憎悪と攻撃の激情を含んでいる。
とはいえ、多くの人はその抑圧に成功することになっている。オイディプスが実行した父親殺しと母親との近親姦は、通常心の中でのみ起こりうることである。一方で、現実の殺人の相当数は、嫉妬や怒りの激情から身内に対して犯される。それは、エディプス・コンプレックスとどのような関わりがあるのだろうか。また、攻撃はもっぱら父親に向けられるものなのだろうか。それらを知るためには、さらに古層に向かわなければならない。フロイトが回復したと言う記憶は、彼が2才から2才半に自覚していたこと、つまり意識内容である。当時の彼の無意識は、表層に現れている通りではない。それに対してクラインは、実際に幼児に会って精神分析的アプローチを試み、その無意識的空想を解釈したのである。それは、「子供の中の乳児」が感じる、精神病的不安の世界である。次に、後に妄想分裂ポジションと呼ばれるその世界について見ることにしよう。
2.
クラインは、長い個人的に困難な時期を経て30代後半に、フロイトが「死の本能」論を展開し始めた頃に臨床活動を開始した。既に精紳分析療法の理論的・臨床的な外枠は出来上がっていたが、子供に関しては、陰性転移が壁となっていた。当時、子供の分析が可能かどうか、それはどのような形を取るのかを議論する代表的な論客は、クラインとアンナ・フロイトだった。後者は、子供の自我は脆弱である、教育的ガイドを必要とする、陽性転移を養成することが好ましいなどと主張した。それに対してクラインは、分析の原則を変更せず、「大人の分析と同等の方法を採用する」ことを主張した。それは言い換えれば、「分析状況analytic situation」を作り出すことである。これによって彼女は、教育的方法を避けて、分析者への陰性衝動を分析することを選んだ。
大人の分析と対比して子供の場合、分析への動機がない、会話による連想が得られない、といった特徴がある。クラインは、会話の代わりに遊びに注目した。子供は遊びを通じて、空想・願望・現実の経験を象徴的に表現する。彼女は遊びを、夢に匹敵するものとした。クラインはフロイトと同じく、その理解を象徴表現symbolismの解読に限らなかった。夢に現れた塔がペニスであると結論するのは、夢占いのような辞書的意味に過ぎず、フロイトの退けた方法である。クラインは、理解するために「全体としての状況」を強調した。その際彼女が最も注目したのは、その時々の不安内容である。
クラインが転移解釈をすぐに行なうのは、大人が転移の形成に時間が掛かるのに対して、子供では直ちに起こり、制止が強い場合強い不安を持つからである。この不安や罪悪感に触れてその源を理解しようとしなければ、子供に変化をもたらすことはできない。実際、彼女は良い関係(陽性転移)を作り上げようとして子供を励ましたりただ遊んだりもしたが、単に無視されるだけで、子供とのコンタクトはできなかった。逆に、陰性転移を素早く解釈することで、不安は緩和され分析状況が確立し、抑制解除によって素材・連想の深まりがもたらされた。彼女は、「転移状況と抵抗の分析、幼児期の健忘と抑圧の効果の除去、原光景を明らかにすること」(『児童の精神分析』)という意味で、大人の分析も遊戯分析も同じだとした。だが、クラインの提示した技法と理解は、むしろ大人の分析の方を変えてしまうものを内包していた。つまり、大人もまたそのパーソナリティの乳児的部分は、例えば極端な期待や懐疑心という形で、直ちに転移を起こすことが認められるのである。
児童分析の一見した弱点は、ここで逆転した。大人は必ずしもいつも夢を見てそれを報告しないし、それと等価の自由連想がいつも成立するとは限らない。よって抵抗分析の必要性が生じるが、無意識への接近は保証されていない。それに対して、子供は常に何かの活動を行なっており、心的世界を理解する機会は遥かに豊富で直接に与えられている。治療者は、その表出が途絶えたり変化したりしたときに介入できる。クラインは一回のセッションの中に現れるこのような活動の移行を、夢要素からなる万華鏡的な絵のように、分析的な理解の中に含めた。解釈の焦点は必然的に、セッションの只中で起きていることを、瞬間瞬間理解していくこととなった。それは、心のモデルを変更した。心はその時々にさまざまな活動を行なう諸部分からなり、一回のセッションの中に、更には或るミクロ過程の中に、対象を巻き込んだ心的過程が認められるのである。
フロイトの考えでは、男児は去勢不安を動因として、父親への同一化によってエディプス・コンプレックスを解消していく。彼は女児の場合、愛の喪失が男児の去勢不安の対応物であると考えた。それは、母親に見捨てられ孤独になる恐怖である。クラインは、その恐怖により深い起源があると論じた。すなわち、女児には母親への攻撃衝動や母親を殺したり母親から盗んだりしたい願望があるので、報復として母親から攻撃される恐怖を持ったり、見捨てられたり母親が死んでしまったりしないかと不安に感じるのである。
クラインは、幼児の早期不安と罪悪感が、エディプス葛藤に関連した攻撃性の強さ・その投影と被害的不安に由来すると理解していた。陰性衝動の解釈は、超自我の厳しさを軽減することが目的である。実例を見よう。
リタはクラインに会ったとき、2才9ヶ月だった。クラインにとってもこのような幼児の治療は初めてのことで、自信が持てなかった。リタは夜驚と動物(犬)恐怖に悩まされており、強迫症状として就眠儀式を持ち、遊びを制止された子供だった。リタは部屋でクラインと二人きりになると、途端に不安げとなり、庭に出たいと言い出した。立ち会っていたリタの母親と叔母は疑わしげな眼で見ていたが、十数分後に戻ってきた二人がすっかり打ち解けていたので、ひどく驚いた。そのような変化が生じたわけは、クラインがリタの様子から恐怖の内容を自分に結び付けて解釈したからだった。リタは部屋の外では怖がっていなかったので、部屋の中で二人きりになることを恐れているのだろうとクラインは察し、リタの夜驚が夜に悪い女の人に襲われる恐怖であり、彼女をそういう悪い人と疑っているのだ、と告げた。これを聞いた後、リタは抵抗なく一緒に部屋に戻った。
当然ながらこれは最初のコンタクトの成立で、治療としては始まりに過ぎなかった。分析を通してクラインが再構成したリタの歴史を、簡単に要約する。
リタは数ヶ月間母乳で育てられてから、哺乳ビンを与えられた。彼女はそれが初め気に入らなかったが、離乳食の時期になるとそれに固執して強く抵抗し、哺乳ビンからミルクを飲み続けた。クラインに会いに来た頃は、リタはまだ夜間哺乳ビンを放せなかった。治療期間中に彼女は離乳をさせられ、絶望状態に陥った。彼女は母親にしがみつき愛情を確認し、コップからミルクを与えられても飲もうとしなかった。分析で明らかになったのは、哺乳ビンの喪失が彼女にとって母親を食べ尽くし破壊してしまった証拠に感じられたことだった。リタの絶望は、母親が死ぬ不安すなわち自分の行いによって対象を失う抑鬱的不安と、強く罰せられる不安が織り交じっていた。後者の迫害恐怖は、母親の死を願う無意識的願望の裏返しだった。
リタは、1才過ぎまで母親の方に好意を示していた。その後、父親をはっきり好むようになり、15ヶ月のときには二人きりで父親に抱かれて絵本を見たいとせがんだ。母親の妊娠は、彼女が15ヶ月のときだった。それが18ヶ月で再び変わり、母親にまた好意を示すようになったが、それには支配的で憎しみが混じっていた。それとともに、夜驚と動物恐怖が始まった。父親への嫌悪は、公然と口にした。
リタは1才を過ぎた時点で、父親を好んで母親を嫉妬し、母親に取って代わろうとするエディプス状況に既にいることが認められた。2才まで両親の寝室で寝ていた原光景体験と弟の誕生は、リタにとって外的刺激となって、リタの母親への競争心と父親から赤ん坊を得る欲求を強めた。現実にリタの母親もまた神経症的で、リタに愛憎両方を感じていた。だがクラインは、このような外因よりも彼女の素因を重視した。つまり、似た条件下にある子供がすべてこのような神経症を発症しないし、母親像は、攻撃性の投影によって実像よりも遥かに危険なものとなっていたからである。父親には母親への憎悪が移されて、悪い関係が強調されていた。リタの犬恐怖は、父親の危険なペニスに対する恐怖がその起源として解釈された。リタは、父親を去勢しようとする彼女に報復して、ペニスが噛みつくことを恐れていたのである。
このようにリタは両親と悪い関係を持っていたが、彼女の内的世界では父親と母親の関係も、暴力的で破壊的だった。母親は、父親の残酷さの生け贄と見られていた。その関係ではリタは父親に同一化して、加虐的な快感を得た。遊びにおいても、リタは三角形の積み木を「小さな女の子」と呼んで紙を貼りつけ、ハンマー=父親で叩くとそれに穴を開けた。2才になって、彼女は就眠儀式の強迫を発展させた。彼女は自分の周りにベッドシーツをぴったり巻きつけないと、ハツカネズミやブッツェン(Butzen、彼女自身の言葉、お尻/性器を指す)が窓を通りぬけて来て、彼女のお尻(性器)を噛みちぎると恐れた。このブッツェンはリタと父親の性器を表しており、互いに去勢し合っていた。窓からの侵入には、母親が彼女の体内に攻撃してくる恐怖も含まれていた。シーツで体を包むのは、これらへの強迫的な防衛だった。
リタは遊びも強迫的で、初めは自分の人形に服を着せたり脱がせたりするのみだった。遊びが貧困だったのは、自分の攻撃性を投影した結果報復される迫害的不安が高まって、活動が制止されていたからである。遊びの中でもリタは人形を寝かしつけて、念入りに包み込んだ上に、傍にゾウを置いたことがあった。そのゾウは、人形=彼女自身が両親の寝室に忍び込んで彼らに危害を加えたり盗みを働いたりするのを、阻止する役目にあった。ここでのゾウは、彼女の加虐的衝動から両親や母親の体内の赤ん坊を守る彼女の超自我であり、内的な葛藤を表していた。
3才になったリタは、自分が赤ん坊人形の母親ではないと何度も言った。人形は、彼女が母親の妊娠中から奪い取りたいが実行することを恐れていた弟を表していた。彼女が制止されたのは、罪悪感と厳しい内的な母親像そして結合両親像に対する恐れからだった。リタがしばしば人形に冷酷な懲罰を与えるときには、過酷な超自我に同一化していた。それはすぐに罰せられて怒り狂った子供への同一化に移り、怒りと恐怖が続いた。対極的な内的対象に引き裂かれた彼女の自我は、それを守る良い内的対象を持っていなかった。
こうしてリタのエディプス状況は、過酷な超自我に対して迫害的不安と罪悪感を持ち、良い関係を築くことができないでいる状態だった。リタの発達は、父親を受け入れる母親への同一化が阻害されていたために停滞していた。母親への破壊衝動は、彼女の罪悪感と迫害感の原因になった。フロイトは、超自我が3才から5才に掛けてエディプス・コンプレックスの解消とともに内在化されると想定した。それに対してクラインの理解では、それは人生のごく早期から心的世界の中に極めて極端な形で存在し、外界に投影されてはまた摂取され、子供の内的世界の一部をなしている。彼女はそれを内的対象と呼んだ。最早期の対象は母親の乳房であり、それとの関係は文字通り生死を左右する。父親は、初め内的ペニスとして乳房の中に含まれていると感じられる。生き残るための一つの方法は、悪い対象との関係から良い対象との関係を切り離すことである。しかしそれはそれで、迫害者からの報復の不安を高める。リタの哺乳ビンの逸話は、両者の分裂の大きさと、空のコップ=迫害的乳房の存在を伝えている。
このような経験水準は、妄想分裂ポジションのものである。クラインが精神病的不安と形容したのは、乳幼児の経験する不安の強さと内容が大人の精神病者の経験に匹敵すると考えたからである。クラインは、だからと言って赤ん坊がみな精神病的だと言っているわけではないとわざわざ断わったが、自らの生存が第一課題のこのポジションの経験である限りでは、そう思っていた節がある。それに対して、抑鬱ポジションでは、自分の攻撃性の結果と向き合い、対象を修復しようとする気遣いを持つことができる。とはいえ、暴力的衝動・分裂・投影同一化・解体、このような原始的なものは、繰り返し現れて止むことがない。クラインが見出したのは、自己とさまざまな内的対象からなる原始的な心的世界である。年齢的に大人になっても、その事情は変わらない。心の新陳代謝が続く限り、乳児的な苦悩や喜悦と無縁にはならないのである。その上、「死の本能」論は、クラインの記述に暗い影を投げ掛けている。羨望は、死の本能の臨床的な派生物として重要な因子である。この関連から、クラインが大人を分析した例を次に挙げよう。
3.
羨望は、生の源への攻撃である点で、最も破壊的であると考えられるようになった。対象は、良い対象であるがために拒絶され攻撃される。この対象の範例は、乳房である。つまり、乳児が乳房の与えてくれる(哺乳する)能力を否定し、自ら摂取をやめてしまう態度である。対象と関係すること自体が、既にその良さを認めて、それを必要とする自分の不完全さを受け入れることを意味する。だから、それを否認しようとする羨望による対象の攻撃は、自己愛的万能感の強さに関わりがある。依存することに耐えられなければ、何を手にしても腐すしかなく、孤独のまま不満を抱え続けることになる。また、何らかの良さが対象にあることは、良さと対象が自足したカップルをなして自分を締め出しているように感じられる。反対に、愛する能力が発達して対象と良い関係を持つことができると、楽しみと感謝が湧いて来る。良い内的対象との関係が内在化していれば、羨望を強く感じずに他の対象の価値を認めることができ、好循環をもたらす。
治療においては、改善することが世話になったことを意味するので、無意識的に悪化の反応を起こすという形で現れる。実際には、精神病者や重篤な例の経験から、治療の進展が崩れるのはなぜかを理解しようとして注目されるようになった因子である。
抑鬱状態に苦しめられ続けていた、抑鬱的特徴と分裂的特徴を持った或る女性患者は、長い間分析を受けていてもその成果に懐疑的だった。彼女は世間的には好人物だと受け取られていたが、クラインに対して破壊的羨望を秘めていることが次第に明らかとなった。彼女が職業的に成功した後の夢では、彼女は魔法の絨毯で空中に浮かび、木の頂上を超える高さにいた。彼女が或る部屋を見下ろすと、そこでは一頭の牛が、際限なく長い毛布の切れ端のようなものをむしゃむしゃ食べていた。同じ夜、彼女は自分のパンティが濡れている短い夢も見た。
クラインは、彼女の見下ろしている牛が分析者を表しており、彼女がクラインを侮蔑していることを指摘した。そして、毛布の長い切れ端は無価値なクラインの言葉で、彼女はクラインがそれを自分で食べて始末するよう罰しているのだ、と解釈した。濡れたパンティは、分析者への排尿による攻撃を表していた。彼女はこの解釈にショックを受けたが、それはクラインの指摘が厳しいからと言うより、自分がそこまで分析者を貶める恩知らずな態度をとってきたことを、ようやく認めたからだった。別の夢は、彼女が母親に向けた破壊的羨望の結果を、うまく修復できないでいたことを示した。彼女の抑鬱感は、その失敗についての無意識的な不安にも由来していた。
しかし、この一連のやり取りに続いて生じた彼女の抑鬱感は、自分自身の憎悪と攻撃性に対する罪悪感と、理想化されていた自分の姿が崩れて破壊性を自分の一部として受け入れる辛さに関わっていた。抑鬱感の分析を続けると、彼女の加虐的な攻撃性が露わにされて、抑鬱感は深まった。それは、投影排除してきたものを引き戻して自己に統合していく過程に必然的に伴うもので、被害的な罪悪感や感情をブロックした空虚感とは異なる。クラインも書くように、これは長い分析過程の一部の抜粋であり、抑鬱ポジションへの移行は、苦渋に満ちた時間の掛かるものである。しかし、それを経て内的対象との関係は修復され、自分を育てるものに変わっていく。
4.
自己分析を進めていた時期のフロイトには、暴力的・攻撃的感情とは別の系統の感情が認められる。悲嘆・自己懐疑・罪悪感・抑鬱・意気消沈・失望・気分の高揚・停滞・麻痺――これらは、父親についての喪の作業に伴う精神状態であり、クラインが抑鬱ポジションと呼ぶ心的な構えの経験である。フロイトがそれを理論の形で論文「喪とメランコリー」で取り上げることが出来たのは、20年後だった。
では、妄想分裂ポジションのクラインの世界は、フロイトと無関係だろうか。確かに、破壊性と暴力性に関しては、フロイトの養育背景や彼の著作のどこにもクラインの描写するような血腥さとおどろおどろしさはないように見える。そこには、不仲の間の両親に望まれずに生まれ姉と弟を亡くしたクラインの、不幸な生い立ちや資質が反映している。早婚により医師になる道を絶たれ、夫の不実に悩まされ、彼女は鬱状態のために入院したこともあった。離婚後は息子を事故で亡くし、精神分析医となった娘からは、狂気を帯びた攻撃に晒された。
しかし、95才で亡くなるまで母親に「私の大切なジギ」と言われ続けたフロイトが、母親による制縛と無縁だったわけではない。彼の母親は美しいが権威的性格で、息子3人・娘5人を生んだが長男の彼を溺愛した。
先の手紙(1897年10月15日付)で彼は、自己分析の進展をフリースに報告した。主な情報源は、彼の質問に対して母親から得た答えである。フロイトは、なぜ乳母が突然消えたのか知りたかった。母親は乳母を覚えていて、彼をよく教会に連れて行ったことを教えた。彼は帰ってくると、家族相手に説教を始めたものだった。母親がアンナのお産の床に就いている頃、乳母は硬貨やフロイトの玩具を盗んでいたことが発覚した。20才年上のフロイトの異母兄フィリップが警官を呼び、乳母は10ヶ月間牢獄に送られた。――こう知ることで、記憶の欠損と或る夢の意味は了解され、フロイトは満足した。ここでフロイトは、別の記憶を持ち出す。母親が見つからないのでフロイトが絶望して泣いていると、フィリップは洋服箪笥を開いてみせた。その中にも母親は見つからず、さらに泣いているところに、ほっそりして美しい母親がドアから入ってきたのだった。この手紙を書くまで、フロイトにとってこの場面は、兄が何を目的に空の箪笥の扉を開いたのか分からず、謎のままだった。彼は、それが今や氷解した、と言う。フロイトは母親を見失ったとき、乳母のように消えないかと恐れ、乳母は閉じ込められたと聞いたので開けてくれと彼の方で頼んだのだった。フィリップに尋ねているのは、彼が乳母の解雇に関与していることを聞いたことがあったからだとフロイトは考えた。
以上の解釈と自己分析は筋が通ってはいるが、根本的な点が抜けているように思われる。それは、そもそも乳母の役割がお産をしている母親の代行だという点である。前回はユリウス、今回はアンナの誕生だった。フロイトは弟に対する悪意と罪悪感を認められても、次々に競争相手をもたらしその度に不在にする母親に対しては、何も意識していないかに見える。しかし、悪い母親を乳母に投影していると解釈すると、細部は別な意味を帯びる。乳母の10ヶ月間の入獄は、母親の妊娠のことであり、開かれたら箪笥が空だったのは、お産が終わったことを意味する。開いたのがフィリップだったのは、フロイトが彼と母親との関係を疑っていたからである。母親の不在は文字通り不在であり、フロイトを絶望させる事柄である。だがそのような感情は、フロイトには全く抑圧されている。
心的な変化は、一時期の洞察によってもたらされると言うより、年月を掛けて徐々にもたらされるものである。しかし自己分析を続けるフロイトには、盲点があった。それは、文通相手フリースの理想化と彼への依存心である。「僕は君が来るまで暗闇の中で陰気に暮らしていた。[・・]君が帰った後、再び目が見えるようになった」「ふたたび頭も心も君と一緒に過ごしたい」――フロイトがフリースに書いた、数々の手紙の一部である。このような惚れ込みと依存が、母子関係と無関係であるとは考えられない。だがフロイトは、母親の忠実な息子であり続けた。このことは、自己分析の根本的な限界と、乳児的世界への接近の困難さを示している。その意味でも、大胆かつ繊細に一大眺望を切り開いたクラインこそ、乳児の発見者と称えられるにふさわしいであろう。
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