V章「イタリアに向かって」/「生殖器」は、手紙以外にもフロイトの三つのテクストを取り上げて、ローマの意味を論じている。フロイトは『夢解釈』の中で、ローマを舞台とする自分の夢を四つ挙げた。アンジューによる分析が紹介されているが、彼の“L'auto-analyse de Freud et la découverte de la psychanalyse”が未邦訳なので参考にすることができる。『日常生活の精神病理学』については、有名な「シニョレッリ」関連の図解がフレスコ壁画に酷似し、当該画家による≪アンチキリストの支配≫には、フロイトとフリースが並んだよく知られている写真と似た肖像を読み取ることもできるという説が紹介されている。最後に、「グラディーヴァ」論との関連では、主人公ハーノルトを考古学に強く惹かれていたフロイトとして読むことから、グラディーヴァのドレープの世紀末における文化的コンテクストにまで展開されるのが興味深い。
フロイトとイタリアの関連で、著者が何度か参照しているLaurence Simmons (2006): Freud’s Italian Journey, Edition Rodopi, New York.に触れておこう。Simmonsの論述は、数あるフロイトについての脱構築的批評の中でも群を抜いて緻密かつ包括的であり、イタリアと旅行の隠喩を取り上げることから始めて、フロイトにとってイタリアがいかに重要な機会を提供したかを順序立てて論じている。そしてフロイトの叙述と考察の歩みは、精神分析が芸術に対して行ないがちと考えられる還元主義的解釈に収まらないことを示している。具体的な細部の指摘でも、先行の学説が幅広く取り上げられており、参考になるところが大きい。例えば、ミケランジェロのモーセ像は、本来の構想では下から見上げるところに置かれることになっていて、その角度で見ると、像の表情は随分違うとのことである。精神分析の歴史に関しても、例えば「ミケランジェロのモーセ像」を書いていた折に、フロイトがいかに弟子たちに失望と怒りを感じていたか、的確に結びつけられている。また、既に挙げたDidier Anzieu(1998):L'auto-analyse de Freud et la découverte de la psychanalyseの他にも、David Whitney(1995):Drawing the Dream of the Wolves: Homosexuality, Interpretation, and Freud’s “Wolf Man”は興味深い研究書である。