フランセス・タスティン−−その生涯と仕事2
福本 修
II.
メラニー・クラインが治療した子供たちの多くは、精神病的な混乱を示していたとしても、遊びや振る舞いを通じてその内的世界を窺うことができた。言い換えれば、彼らには投影同一化・分裂を行う能力が備わっており、自己と内的対象との対象関係を象徴的に表現することができた。彼らは歪んだ形ながら、母親との最初の基本的な関係を持っている。一方タスティンは、クラインの象徴解釈の技法と図式が、分裂病型の子供(タスティンの言葉で言うとentangled child)の理解には役立っても、自閉症児の治療特にその初期の段階とは殆ど関連性がないことに気づいた。自閉症児たちは人との関わりを持とうとせず、つながりを築く能力に欠けているようだった。そのような中で彼女は、アメリカ滞在中(1954-5)に親しんだマーラー・ベッテルハイム・ビブリングら自我心理学者たちの発達理論に基づいて、自閉症を正常の自閉期への退行として位置づけようとした。しかし彼女は更に自分自身の観察と経験を重ね、他の研究者たちとの対話を怠らず、独自の理解を生み出していった。
ところでクライン自身も、「自我の発達における象徴形成の重要性」(1930)で引用したディックに関して、タスティンと同じ問題を抱えていた。クラインはそれを精神分裂病の児童分析の最初の症例報告としたが、自分の図式に必ずしも一貫性がないので当惑も示している。その後ディックは自閉症児の精神分析的な観察の最初の例として知られるようになるが、カナーの論文は1943年発表なので、1930年当時「自閉症」という診断はありえなかった。
ディックの分析は彼が四才の時、1929年1月7日に始まったが、彼はクラインが知っている子供たちと、非常に異なっていた。この特異性のためか、クラインにしては珍しく、彼の養育環境と発達歴に触れている。彼の自慰行為と乳母によるその禁止の記載は、早熟な性器的過程の存在を実証したかったからかもしれない。クラインは家族に対して批判的で、母親は非常に不安が強く、彼に真の愛情を注いだものはいなかったと書いている。ディックは授乳が非常に難しい赤ん坊だった。彼は母乳を吸おうとせず、哺乳瓶を受け付けず、離乳させようとすると粥に近いもの以外は一切受け付けなかった。排便訓練は難しかったが、三才頃には彼は身につけた。四才までに、彼は誰とも強い情動的な接触を結ばなかった。彼の語彙と知的達成度は、生後十五乃至十八ヶ月程度だった。彼には現実への適応も環境との情動的関係も、殆どなかった。彼は母親がいようといまいと無関心で、不安を殆ど示さなかった。一つのことを除くと何にも興味がなく、遊ばず、意味もなく音を立てていた。彼には自分を表現する意思が見られなかった。言葉を正しく使うときもあったが、今度は絶え間なく機械的に繰り返し、周囲をうんざりさせた。怪我をしても傷みを感じる様子がなく、慰めを求めなかった。彼は不器用で、ナイフや鋏を使えなかった。
このような描写は、カナー型の自閉症にまったく一致する。クラインは彼の診断に戸惑った。紹介したフォーサイス医師は、「早発性痴呆」の一種としていた。子供の動作の背後に潜伏性の不安が見られなかったことから、彼女は彼が神経症児とは考えなかったが、発達上の達成とそこからの退行という過程が見られないので、精神病児とすることにも躊躇いを感じた。しかし最終的に、彼の情動の欠如を今で言う陰性症状に近いものとして認めて、児童期に発症した精神分裂病と位置づけた。しかも彼の象徴形成の障害を解明することで、彼女は分裂病の成因と精神分析的な治療を見出したと考えた。
タスティン(1983)はクラインの論文を読み直して、ディックの初期の授乳・離乳の困難に既に自閉症の特徴を認めている。一方彼が言葉を数語話し、排便訓練が済んでいることは、予後が良好なサインである。以下ではクラインの論述を辿りつつ、タスティンのコメントを参照するとしよう。
クラインと初めて会ったとき、ディックは乳母と離れても感情を出さず、クラインにも無関心で家具のように扱い、部屋の中を無意味に動き回った。彼は殆どの玩具に関心がなく、その用途も意味も理解していなかったが、列車・駅・ドア・その取っ手・ドアの開閉には興味を示した。クラインはそれを、「母親の身体へのペニスの挿入」に関連していると解釈した。ドアと錠は母親の身体への通路を遮るものであり、取っ手は父親及び彼のペニスを象徴している。彼女によればディックの象徴形成が停止したのは、母親の身体に侵入したら父親のペニスによって何をされるか分からないという恐怖のためである。彼の発達は、自分の攻撃衝動に対する防衛によって阻害されている。噛むことや鋏を使うこと、一般に攻撃的な動作を一切できないことは、その証拠と見なされた。
ディックは周囲のものとの情緒的関係を欠いており、彼の象徴使用が面接室で自然に展開する見込みはなかった。クラインは素材が十分に遊びや行動に表出されるのを待った上でその象徴表現を読み取る通常の技法を修正して、彼の制止の中核にあると考えられた抑圧されていた不安に触れようとした。目の前の玩具に興味のなかったディックに対して、クラインは列車を二つ並べて、大きい方を「パパ列車」、小さい方を「ディック列車」と呼んだ。彼は小さい方を取り上げて窓に向かって転がし、「駅」と言った。クラインは、「駅はママ、ディックはママの中に入っていく」と解釈した。彼は列車を置いて入り口の二重ドアの間に入り込み、「暗い」と言うとまた走り出てきた。彼がこれを繰り返すのに対して、クラインは「ママの中は暗い、ディックは暗いママの中にいる」と説明した。彼は「乳母は?」と聞いた。彼は以後この言葉を正しく用いるようになった。彼は二回目も同じように振る舞ったが、部屋から暗いホールまで飛び出し、「ディック列車」をそこに置いておくことにこだわった。そして「乳母は来ている?」と何度も尋ねた。彼の行動は三回目も同じだったが、今度はホールとドアの間以外にタンスの裏に行って、初めてクラインを呼んだ。終了時間になって乳母に会うと、彼は極めて喜んだ。ここでは彼の不安が顕在化すると同時に、対象への依存が現れてきている。
彼は三回目に、初めて他の玩具に興味を示した。その態度にははっきり攻撃的な傾向が認められた。彼は小さな石炭運搬車を指して、「切って」と言った。クラインは鋏を渡したが、彼が不器用なので代わりに石炭の部分の木材を切り出した。彼は傷んだ玩具を引き出しに投げ込み、「なくなった」と言った。クラインはこの流れを、ディックが母親から糞便を切り出している、と解釈した。続いて彼は二重ドアの間に行きドアを引っ掻いたが、クラインは、彼がその空間を運搬車及び母親の身体と同一視して攻撃している、と理解した。
その次の回には、彼は珍しく初めに乳母との分離不安を示した。彼は傷んだ運搬車とその中味を見かけると、急いでどけて他の玩具で覆い隠した。クラインが傷んだ玩具は彼の母親を表していると説明すると、彼はそれをとってきてドアの間の空間に置いた。クラインはこれを、彼が攻撃された対象と自分のサディズムを排除expulsionしようとしていると理解した。洗面器もまた彼の中で母親の身体を象徴しているとされ、彼が水で濡れるのを恐れたのは、母親を攻撃する尿が自分にも危害を与える不安を感じたからとされる。彼はこのような空想から母親の身体の中味特に父親のペニスを恐れ、男性人形を噛むなどしてそれに対して攻撃を向けた。父親のペニスを取り入れると、彼は今度は摂取した原始的迫害的超自我と母親からの懲罰を恐れた。ディックの反応は不安と後悔の混じったもので、クラインはそれを、性器段階の早すぎる活性化に対応していると考えた。つまり、彼女は性器水準での自我の発達が既に始まってはいるが、それ以上の発達はこの早熟のために制止されているとした。ディックの空想生活は、暗い空の母親の身体の空想の中に逃れて、留まっており、身体の中にあるものすなわちペニス・糞便・子供を表している外的世界のさまざまな対象に目を向けないようにしていた。クラインは不安を顕在化させることで、彼の攻撃衝動と知識欲を解放していったと考えている。治療が進むにつれて彼の周囲の事物への関心は高まり、語彙が増え言葉の使用は適切なものになっていった。−−以上がクラインの説明である。
ディックがクラインを家具のように扱った態度は、自閉症児に典型的である。彼らは人と容易に交わらずに物扱いする。人に対する情緒的な反応は、自分のしたいことを邪魔されたときに示す憤怒の癇癪か恐慌である。自閉症児がこだわる対象は象徴な意味を持っているように見えても、彼らとのコミュニケーションの媒体になることは稀である。それはタスティンの言う「自閉的対象」であって、対象自体よりそれが生み出す感覚に価値がある。しかも彼らはそれを自分の身体の一部のように経験していて、それを奪われると身体の重要な一部を取られたように反応する。クラインが列車に触れたことにディックが気にしなかった方がむしろ異例である。
クラインはディックの列車を解釈している。その背景には、心的発達の早期段階で母親の身体に向けられた前性器的な衝動特に口唇サディズムの果たす役割を強調した当時のメラニー・クラインの発達理論がある。乳児が母親の身体に向けるサディスティックな空想は、乳児が持つ現実との最初の基礎的な関係である。乳児は母親が、糞便・子供とともに父親のペニスを性交の時に取り入れて身体の中に保持していると空想している。空想の中で乳児は、口唇サディズムに加えて筋肉サディズム・尿道サディズム・肛門サディズムによって母親を攻撃する。排泄物は彼らの危険な武器である。この攻撃は乳児に直ちに、報復攻撃される不安を呼び起こす。乳児の未発達な自我は、圧倒的な不安を処理しなければならない。不安を解き放つ自分のサディズムばかりでなく、攻撃される対象もまたそれを攻撃する武器が自己にも向けられるので、危険の源である。
それらに対する早期の防衛は、サディズムの排除expulsionと対象の破壊destructionだが、象徴形成もまた不安の処理に寄与する。ジョーンズE.Jonesが象徴使用symbolismをリビドーが昇華される基盤と考えたのに対して、クラインは、サディズムの処理に伴う同一化の過程もまた象徴使用を発達させると指摘した。乳児の自我は対象からの報復の不安のために、対象とする母親の諸器官(ペニス・膣・乳房)を他のものに置き換えていく。しかしその等置されたものは再び不安を生む源となるので、自我は更に等置に駆り立てられる。不安処理のこの過程が、象徴使用の発達する基礎である。
象徴使用は、あらゆる空想と昇華の基礎であるばかりでなく、主観が外的世界そして現実一般に関係を持つための基礎である。乳児にとっての現実は、最初投影によって著しく歪められている。彼らは不安の対象に取り囲まれ、迫害されている。それを脱して外的世界と現実的な関係を結べるようになるのは、象徴形成の過程に依存している。自我が発達できるかどうかは、最早期の不安状況の圧迫に耐えられる能力に掛かっている。適量の不安は象徴形成と空想を豊富にするが、圧倒的な場合、発達を阻害する。
クラインにとってディックは、自我の発達が異常に制止された例だった。彼女はその原因を、彼の自我が不安に耐える能力がないことに求めた。性器的過程が尚早に開始されたために、彼は攻撃された対象と早熟に同一化し、過剰なサディズムに対して早熟な防衛をした。その結果自我は空想生活の発達を停止して、現実との関係を失っていた、とクラインは考えた。
しかしながらタスティンから見れば、クラインの解釈は自閉症児よりも精神病的な子供に当てはまる。精神病的な子供は多少の発達を見せた後に退行し、空想の中で対象(主として母親)の中に入り込むことによって自己を守ろうとする。彼らが投影同一化を用いた結果ばらばらなdisintegratedのに対して、自閉症児はいわば統合されていないunintegrated。彼らには母親の身体の内部に向ける洗練された関心はなく、対象の内部/外部を知らない。彼らには身体感覚の流れとしての自分meさえ確立しておらず、外的世界の対象と模倣的に融合する。人との関わりでも、人に対してではなく人に伴う感覚に反応する。それは心理的水準よりも生理的水準の緊張放出のように、癇癪や恐慌の反応である。
ディックは、クラインの膝の上の鉛筆の削り屑を見て「気の毒なクラインさん」と言い、別な時には「気の毒なカーテン」と言った。クラインは、ディックが早熟な感情移入empathyによって破壊的衝動を防ごうとしていると理解した。しかし彼は、自分がしたことによって文字通りクラインが切り屑になっていると見たようである。このとき人と屑の区別はない。自閉症児は、表面的な性質の一致から対象を同一視する。彼らにとってリアルなのは、外形formであり形態shape・パターンpatternである。触れられる具象的なもののみが存在するものである。
タスティンの理解では、自閉症は母親の身体との早過ぎる分離という外傷に対する反応である。未熟な心的組織しか持たない乳児にとって、乳首は対象ではなく自分の口にある感覚sensationの集まりである。その喪失は自分の一部の喪失であるばかりでなく、乳児が対象喪失として喪の作業(象徴形成)を行うことのできない事態である。それは「ブラック・ホール」として、自らの実存への脅威となる。自閉症児はそれを、自分が身体を揺らしたり物を回したりして生んだ諸感覚の殻によって塞ごうとしている。それは空想を含まない点で自慰よりも原始的で、心地良さと安全を感じるための自己誘発催眠に近い。そこには自分以外のものとの関係を排除する、嗜癖的倒錯的な要素がある。彼らの世界は、身体表面での硬さ(自閉的対象の触感)と柔らかさ(自閉的形態の感触)のように、対立する諸感覚(明るいvs暗い、大きいvs小さい、満ちたvs空、いいvs嫌らしい等々)から成り立つ。しかも嫌らしさnastyが良さniceを圧倒すると、回復の希望のない破局の恐怖に通じる。自閉の殻の下には、極めて脆弱な均衡がある。人との交流によって「感じ」始めることは、彼らにとって危険である。
しかしディックは、治療開始から六ヶ月後には両親に愛情を示すようになり、語彙は増し、自分が理解されることを求めて話し始めた。これは何を意味するのだろうか。クラインの論文は、精神分裂病の成因と象徴形成の障害の関連についての彼女の立場を明確にしてはいるが、ディックとの治療の全てを必ずしも反映していないだろうし、論文発表以後も中断期間(1941〜1944)を除いて1946年にサンドフォードB.Sandfordに引き継がれるまで続いた治療には当然ながら触れていない。一般に自閉症児に、十分に象徴水準に達して豊富な無意識的空想があるとは想定し難い。受診時にディックが保持していたのも、ビオンが言う「内在的前概念作用」としての骨組み程度の無意識的空想のようである。彼の発達にとってクラインによる無意識的空想の解釈がどこまで直接的な効果があったかは、謎である。
フロイトの歴史的症例が例外なくその生涯を調査研究されているように、ディックについてもその後が知られている。クラインについて最初の包括的な伝記を書いたグロスカスPhyllis Grosskurthは、ディックを追跡調査して、五十才代の彼に何度か面接した。本人の回想を読んでも治療の具体的な内容は明らかにならないが、彼らの間で何か良いことが起きたことは分かる。それはクラインが技法として主張したこととは同じでないようである。一方からの短く断片的な報告であり特別に重視はできないが、論文が与える印象と随分異なる交流の機微を伝えているので、紹介しておこう。
グロスカスが会ってみると、彼は子供っぽく友好的な人物だった。彼はクラインの同僚の息子で、『児童の精神分析』に治療経過が詳しく報告されたリチャードの、六才年上の従兄弟だった。彼の具体的な身分は明かされていないが、クラインは彼の親を非難しているので、ディックが誰かを知ったらイギリスの分析者たちはみな驚愕するだろう、とグロスカスは書いている。
サンドフォードが引き継いだときには彼は「凄いお喋り」で、音楽の技法的なことについてならば尋常ならない記憶力を持っていた。彼が自分が“ディック”だと分かったのは、クラインが極めて「非クライン派」的なことに、論文を彼に読んで聞かせたからである。グロスカスに改めて見せられて“ディック”は、「母親の身体内に取り入れられた父親のペニス」については、「こういう戯言は削った方がいい」し、「攻撃するペニス」については、「僕はそういうことをしなかった」と言った。クラインが尿を「危険な物質」と見なしたことについては、「本当だ」と。総じて彼は、クラインのことがとても好きだった。彼はよく泣いたが、そういうとき彼女はいつも彼を慰め、「人生悪いことばかりじゃないのよ」と言うのだった。
次に、自閉症児はどのような経験しているのか、精神病的な経験との対比も含めて見ていくとしよう。
III.
タスティンはアメリカから帰国すると、自閉症児の治療を依頼されることが多くなった。当時自閉症の権威だったグレート・オーモンド通り病院のクリーク博士が診断していたので、治療が成果を挙げたとき「自閉症が精神療法で治ったのではなく、そもそも誤診だったのだ」と非難されたが、博士の名前を出すことで収まった。それにしても症例は注意深く選別され、当時の水準で脳損傷の疑われる例は除外されていた。
タスティンはつねに環境因にも言及した。患者の母親は例外なく産褥期に深い鬱状態に陥っており、父親は十分な助けとならず、むしろ母親の自信を挫いていることが多かった。夫婦には宗教や文化習慣の不一致も見られた。母親は孤独の内で胎児を自分の唯一の慰め役として過ごし、実際に生まれると自分の身体の本質的な部分をなくしたと感じた。一方で、子供たちが生まれた直後から極度に敏感なこともあった。タスティンはその後も、器質因・環境因・心因の間のバランスをとろうと腐心し、自閉症の基本を情緒障害と見る観点は変えなかったが晩年には認知発達心理学の所見も取り入れて理論の枠組みを大きく変更した。
・・さて、これからいよいよタスティンの臨床も含めて、自閉症の世界へと入って行こうと考えていたのだが、本誌『イマーゴ』休刊の知らせを受けた。残念ながら予定していた項目を今回で全部消化できる見込みはない。早く取り掛からなかったせいではあるが、タスティンの考えは時期によって少しずつずれてきていて、それでも反復が多いので調べるのに手間取って、正確なことを述べるには用意不十分なためである。以下では、興味深い点を挙げておくにとどめさせていただくことにする。
1.自閉症的防衛と対象関係、その背後にある不安について:自閉的障壁・自閉的対象・自閉的形態、ブラックホールの脅威と破局的不安。タスティンの症例、ジョン・ピーター。前者については、彼女の最後の論文「誤謬の永続化」でも触れられている。ただ、同じ症例を用いていても時期によって彼女の理解の強調点は異なる。
2.心因論的成因と、攻撃性の寄与について:タスティンはクライン派として出発したが、次第にウィニコットの考えに近づいていったようである。彼女が心因として想定する「母親の身体との早過ぎる分離による外傷」の表現は一貫して維持されているが、その内実は、変わってきている。クライン派の考えでは、外傷が外傷として経験されるのは、自分の攻撃性がそこで投影されるが包容されないからである。この事情は精神病でも自閉症でも変わらず、攻撃性を前提としてその包容を図るのが治療である。それに対してウィニコットの考えでは、どちらの問題も「環境の失敗」に由来する。乳児が自分の口がなくなってしまったと感じるのは、母親が万能的錯覚を認めつつ徐々に脱=錯覚しなかったためであり、治療的なアプローチは、「関わる環境」を用意して退行を許容することである。当初ブラックホールは自分の憤怒の所産とされていたが、コフートを引用し「外傷後ストレス症候群」を言い出すタスティンは攻撃性を脇に置いて、自閉症に別の生得的な脆弱性を想定しているように見える。
3.大人の自閉的な部分について:これについても、ウィニコットの寄与は大きいと思われる。彼が言う「偽りの自己」は「自閉的な部分」を保護しているようであり、偽りが破綻したときの破局感、バラバラになり無限に落ちていく感覚は、「偽りの自己」が決して再経験しないようにと封じ込めてきたもののようである。「挫折恐怖fear of breakdown」が実はかつて(おそらく乳幼児期に)起きたことの再現を恐れているという指摘は、おそらく自閉的な事態に対応している。他に、S・クラインらの指摘。但し、自閉に見えるものは羨望・自己愛に対する防衛かもしれず、大人に関して自閉的な部分を論じるのは容易ではない。意識化されている空想には、既に多くのものが入り混ざっている。「偽りの自己」概念の問題は、知性化以外の、倒錯を含む病理的組織などの込み入った防衛を想定していないところである。
4.精神病と自閉症との関連について:分裂病は自閉症の解明に光を当てなかったが、逆はありうるかもしれない、とタスティンは言う。確かに症状の類似性ばかりでなく、共通する自己の危機をどう理解するかは、精神病理学的にも興味深いことだろう。無/無意味/ブラックホールの脅威によって原始的自己がほぼ殺戮され、感覚-生理的次元で対処しようとしているのが自閉症的事態だとすると、精神病的事態では恐怖が幻覚としてであれ心的に形態化され、投影されている。これはビオンの言う「幻覚症における変形」の水準の経験で、それが働かないときは全くの死、本当の破局である。
5.メルツァー・オグデンら他の理論家たちについて:付着同一化・自閉隣接ポジションなどの概念がどこまでどのように有用かは、3.とも関わる。集団力動に関してはあまり言われているのを見たことがないが、集団の自閉的行動や心性について考えることもできるかと思われる。他の自閉症研究者たちのアプローチについては、先回「自閉症」特集号の平井正三「自閉症の心理療法」が参考になる。
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