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「心の理論」仮説と『哲学探究』
アスペルガー症候群[から/を]見たウィトゲンシュタイン
福本修
I.
小論で私は、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインLudwig Wittgenstein(1889-1951)の哲学的思索が高機能(アスペルガー型)自閉症者の経験構造の表現となっている(「示している」)ことを読むとともに、それが彼にとって極めてリアルであって、彼自身が自閉症的な様態に親和性のあることを論じたい。ここでの自閉症的経験構造一般の理解は、さまざまな仮説がある中で、障害を認知的な角度から見ようとする「自閉症者の『心の理論』欠損仮説」に基づいている。言い換えれば、焦点は記述精神病理学的な症状論の水準にないので、本格的な自閉症の症状が彼に乏しいことは、この方向で考察を進める妨げとならない。彼にはすぐ思い浮かべられるような症状は見られないが、彼の対人関係には自閉症的挿話が満ちている。そしてそれは更に、思索の軌跡に認めることができるのである。
病跡学の中では、ウィトゲンシュタインは分裂病質の哲学者として位置づけられ、むしろその典型と見なされてきた。そこでの「分裂病質Schizoid」は、クレッチュマーを始めとするドイツ精神医学的な理解に基づいており、私が採用する理論と切り口が違うので、自閉症圏か分裂病圏かという対比は簡単にできない。自閉症に連続体continuumが想定されてもそれは「体格と性格」を論じる病質・気質という移行型とは異なるし、「分裂病質」の概念は認知心理学的モデルと無関係である。もう一方では、自閉症とDSM的な意味でのパーソナリティ障害(分裂病型schizotypal・スキゾイドschizoid)の異同を問題にする立場がある。また、精神分裂病の陰性症状と或る種の自閉症の成人期に見られる特徴には、類似性が指摘されている。これらの議論には立ち入らないが、私は分裂病質における対人関係の問題(感情の隔離・対人過敏性・空想優位・内向性など)と自閉傾向者のそれを、別のものとして考えたい。自閉的パーソナリティと精神分裂病の家族負因との間には、実証的に関連性が認められていない。彼らに精神病的な破綻の危機があったとしても、それは彼らが以前から分裂病に親和的だったことを意味しない。
だから、私はここでウィトゲンシュタイン=分裂病質という旧来の病跡学的な見方を排除することを目的にはしていない(それは合併しない事態ではない)が、以下に述べる自閉的特徴を認めた上で彼を単に分裂病質と呼ぶのなら、その概念の意味はかなり変化するだろう。そしておそらく、両者を独立したパラダイムとして扱う方が、より適切だろうと考える。実際、対人関係や性格のみならず作品・思考様式がこのようなタイプに入る、創造的な活動を行った者は少なくない。特に、コンピューター関係の科学者に多いようである。彼らにとって、意味を計算algorismによって整理しようとするのは適応的な探究である。「『心の理論』仮説」は心因論ではなく器質論で、それを主張する者は多くの場合精神療法的なアプローチを否定しているが、ここに基本的な不安・防衛様式・対象関係などの力動的な見方を加えることで、より一般的に<アスペルガー心性>を構想することもできるだろう。
カナーは自閉症児たちについての最初の報告(1943)で、「自閉的孤立」「同一性保持の要求」「突出的技能」という三つの特徴を挙げた。彼はその後も診断基準について研究を続けて、始めの二項目を特に重視したが、反響言語・人称代名詞の逆転・うつろう視線など彼らの言語的・非言語的コミュニケーションの障害についても記載していた。一年遅れて、アスペルガーは「自閉的精神病質」と総括して独立に発表した。コミュニケーションと社会的交流の障害・限定された対象への固執・変化への抵抗などカナーの患者群と共通する特徴は多いが、アスペルガー症者は必ずしも幼児期に診断されず、他人に関心を示すが一方的な態度になりがちで、彼らの「視線・身振り・姿勢・声質・抑揚・言葉の選択などの非言語的コミュニケーションの奇妙さ」「ユーモアの欠如と偉ぶった態度」(フリス)・姿勢の悪さ・不器用さなどが指摘されている。英米圏でアスペルガーへの注目はそれほど昔に始まったことではなく、カナーの小児自閉症との関係が論じられているが、両者をともに自閉症スペクトルに属するとする立場が有力なように思われる。また、アスペルガー症にも幅があり、正常との移行例では、「仰々しさ」「奇妙なイントネーション」「ジェスチャーの欠如」などが見られず、単に「話すのは得意だがぎこちなく、手際が悪くて実行力のない、変わった分野の専門家」(フリス)と見られていることもあるだろう。
この領域の膨大な文献を網羅することはできないので、現代の代表的な研究として、両型に共通する特徴と障害の機構を抽出しようとしているローナ・ウィングによる三特徴を紹介しよう。(1)対人関係の重度の障害。特に同年令の子供との相互的やり取り関係がないという明確な特徴を持つ。(2)言語及び非言語の両面にわたるコミュニケーション障害。(3)ごっこ遊びなどの想像的活動を楽しまず、代わりに反復的行動をすること。彼らが対人場面で奇妙(1)なのは、相手の意図を理解すること・相手の視点を共有すること・自分の心の状態を相手に伝えることをしない(その必要性を理解しない)からである。彼らは信じる・知っている・望むなどの相手の心の状態を考えることに困難があり、考えたり感じたりする存在として他人を認める能力が欠如しているようである。アラン・レスリーは、心の状態の理解と彼らに「ごっこ遊びmake-believe play」ができないこと(3)が、指示関係・真実性・実在性それぞれについて「振りpretence」を要する点で論理的に共通していることを示した。認知心理学的に言えば、これはメタ表象の形成-分離過程の障害である。これらから想定された自閉症の障害が、バロン-コーエン・レスリー・フリスらの提唱する「心の理論」の欠損である。
「心の理論theory of mind」を持っているとは、振る舞い(外部的な事象の状態)と心理(内部的な心の状態)との関係を予測することである。一般に他者の行動は、行動結果に心理的原因を推定する心理化mentalizingの能力によって、論理的なつながりからばかりでなく動機と感情的背景を考慮して理解される。「心の理論」を欠いた者は、行動の背景にある動機や心の機微を除外して、意味を理解しないか自分流の「規則」を当てはめて機械的な対応をする。それはコンピューターのソフトウェアが、予測された事態に対してのみメモリーとプログラムに沿って対応できる硬直性に似ている。自閉症者は、このように制約された行動主義者である。現実への適応は主に直観にではなく、事象或いはそれを抽象した規則の暗記に基づいてなされ、学習の汎化は容易に起こらない。
彼らの内で「高機能」の者は物の世界の連関を理解するし、全ての人間的な意味が分からないのではない。(1)純粋な事象・単なるメッセージ(事実)の伝達・単純な命令は理解できる。それらは或る程度学習が可能であり、初めからその能力を有する者もいる。それに対して、(2)意図のコミュニケーションでは、受け手は情報を相手の心の状態に関連させて伝えられた情報を評価すること、すなわち相手の立場に立って意味を把握することが必要だが、彼らにはそのような直観が欠けている。(1)と(2)の相違は、ウィトゲンシュタイン流に言えば、「〜を見ること」と「〜として見ること」にある。更にウィトゲンシュタインの言葉を先取りして言うと、(2)の困難は、彼らが「アスペクト盲」であり「意味盲」であることを示している。自分の視点を他者のそれへと転換すること、すなわちアスペクトを切り換えることの難しさは、簡単な実験(例えば「サリーとアンの課題」)によって確認される。
一方、自閉症児の感情表出は、誰にでも通じる一般的な表現を用いず、自分だけの特異的な表現を用いる点が特徴的で、その子の親でも彼らの状況を判断できないことが非常に多い。それは特定の場面に密着して符丁のように用いられ、彼ら自身にとっても通常の言語と同じ使用価値を持っているかどうか不明である。このような表出を「私的言語private language」の概念と対比させるのは、II.で見るように興味深い作業である。
さて、自閉症を理解するためにウィトゲンシュタインの概念をこのように散りばめていくことはともかく、ウィトゲンシュタインその人を自閉症に絡めて論じることには、抵抗があるかもしれない。確かに、カナー型の自閉症児やレイン・マンのような成人自閉症者と、哲学のように高次機能を要求する作業は結びつき難い。だがカナーの追跡調査(1973)でも、96名中11人は良い適応を示している。彼らが生涯「虚ろな砦empty fortress」に篭もったままというイメージは、実証的研究の知見に反している。適応が進むと、「心の理論」の有無についての簡単な検査にパスするようになることもある。彼らは青年期になると、自分が閉め出されている対人交流の世界があるらしいことに気づく。しかし、その先の理解と参加は容易ではない。
近年、自閉症者たちが相次いで自伝を出した。ドナ・ウィリアムスは、自伝の中で自閉症者の心の世界を優れた表現力で実に繊細かつ感情豊かに描写している。それでも子供時代の彼女は、そのような世界を誰かに伝えるどころか、自分の心の状態を的確に把握できなかったし、他者を含めて外界を全体として理解できなかった。実際、彼女の経験そのものが断片的だった。彼女の欲求は独占的で排他的だったが、相手には通じなかった。コミュニケーションのためにも自己理解のためにも彼女が有していたのは、「私的言語」だったのである。その彼女が物との一体化の世界から、人々の世界へと出てきたとき、彼女の適応を助けたのは、人間関係の行動主義的な理解に基づいた、適応パーソナリティによる「演技」だった。彼女は規則を覚えることによって、出来事の世界に次第に対応できるようになる。それでも、他者の心理・心の状態の理解には、自閉症特有の困難が残った。ドナはまず物理学者として出発し、有能な行動主義者となり、伴侶を見出し、更に驚くべきことには最新書では自閉症についての心理学者となったが、他人との日常的な交流に今も負担を感じている。
また子供時代に自閉症と診断されたテンプル・グランディンは、自分に圧迫感と暖かさを与える魔法の機械(締め付け機squeeze machine)の夢想と「目で考える」才能を生かして畜産関係の設備を設計し、コロラド州立大学動物科学部の助教授となった。彼女は自伝を共著したばかりでなく、最近では自閉症の病態と成因について活発に論じている。彼女は大学では実験心理学を専攻していたが、当時からヒトよりウシに関心があり、動物科学に転向して成功した。そして自閉症の理論をものにしても、障害の社会的・心理的側面には殆ど目を向けず、感情・情緒に対して感覚的・生理的反応の分析を優先させている。これは自伝にも見られる傾向なので、単に自然科学者的な態度と言うより、彼女の「盲点」に属するのだろう。ドナ・ウィリアムスにしても、自閉症の中核病理として「耐性のなさ」***を挙げているが、やはり感情を対人関係の次元から見ることよりも感覚という自己内部の変化に焦点を合わせる傾向がある。これは彼らに共通した経過のようである。
II.
では、ウィトゲンシュタインの哲学は、このようなアスペルガー型自閉症とどのように関わるのだろうか。全く印象批評のレベルで、工学・数学・論理学・教育・数学の哲学・心理学の哲学・・というウィトゲンシュタインの専門遍歴にも、彼らに似た質が感じられる。それをもう少し詰めて考えるとしよう。それでも以下は哲学的考察というより彼の哲学の心理学的理解であり、幾つかの特徴と見取り図の素描である。そもそも「『心の理論』仮説」は、哲学的には重大な問題であった事柄、例えば「他者の心」の認識を何ら考察なく当然の前提にしており、哲学的な懐疑に基づく吟味に耐えるものではない。だが、それが対象としているのは自閉症という特別な様態であって、この事象の解釈に関しては哲学者も考察を加える者の一人として、同じスタートラインにいる。
講義録や著作ノートに明らかな通り、彼は極めて粘り強く思考し探究を続け、哲学的な問題に対して独創性と理解力を発揮した。しかし、例えば結婚を考えたマルガリートの心理を全く理解しなかったように、彼の対人関係での不器用さ・理解力のなさは、驚くべき対比をなす。また、「語りえないことについては、沈黙しなければならない」(『論考』[7])という彼の“倫理的態度”は、その謎に満ちた潔さで多くの人を惹きつけてきた。しかしそれは、喫茶店で周囲の目を構わず「自分の罪を大きな、はっきりと分かる声で喋りまくっている」のに耳を傾けるよう相手に強要していた彼の態度と併せて考えた方がいいかもしれない。
以下では少なくとも、ウィトゲンシュタインの思索が他の精神病理事象(例えば脳損傷)よりも自閉症によく当てはまることは見られるだろう。そして彼によれば、哲学者が普通の人たちには生じないような疑問を提出するのは洞察力があるからではなく、或る意味で洞察力が不足して彼以外には生じない疑問に捕らわれているということだから、この論法を彼自身に適用して、彼の個人的な問題がどう反映しているかを考えても彼の企図に背かないことだろう。
ただ、何度も繰り返すようだが、ここでの試みはあくまで定性的な指摘である。厳密さを目指しても疑似哲学的にしかならないし、厳密さや確実性の根拠を問う或る種の仕方自体を主題にしようとしているからである。
@まず、ウィトゲンシュタインの主題の展開−−『論理哲学論考』から『哲学探究』『心理学の哲学』に至る歩みを見よう。哲学的には、彼の前期から後期への転回では、『論考』の中心的構想である「像理論・要素命題」の放棄、言語の日常的な使用法への注目、根拠の性格を吟味してその規範性を言語ゲームの規則と慣習に求めたことなどが取り上げられる。しかし対人交流が主題化されていく過程に注目するならばこの流れは、「世界」との自閉症的な関わりと、他者の心そして自分の心を発見しようとする試みとの間の、一貫した苦闘と見ることができるかもしれない。
ウィトゲンシュタインは『論考』で、「世界」と命題の論理構造の連関を解明し、「生」の倫理を示そうとした。この「世界」は「私の世界」であり、世界の外にある「神」がその「世界の意義」である。世界の鏡像は論理学に求められる[6.13]。「論理は世界を満たす。世界の限界は論理の限界でもある」[5.61]。こうして世界の構造は、論理的に規定されている。<私>は自分の意志で世界の出来事を左右できないが、可能空間を論理的にすべて見通している。それによって世界の不確実性は排除され、予測可能な透明性が確保される。彼の関心は自分の世界と神にある。その世界には他に誰もいない。そこには他者(の心)が存在しないばかりでなく、<私>にも後の『哲学探究』が取り上げた心の諸側面(恐れ・信念・願望・意図・痛み・・・)が存在しない。
『探究』では他者が眼前に現れたが、一方では徹底した行動主義的アプローチを通じて、「他者(の心の状態)」を外的基準とその規則から理解しようとした。結果として見出されるのは、その運用のどの一歩にも論理的には根拠がないこと、「無意味の闇」(クリプキ)である。言い換えれば、彼は他者の心への直観を保留して、その状態(意味)を行動的指標の論理操作すなわち計算(規則の適用)で規定できるかどうかを探ろうと試みた。それに対して彼は、「感情表現の純正さ」(『探究』第二部xi)の判断が、「計算規則とは違って」規則が体系をなしておらず、「経験ある者だけがそれらを正しく応用できる」と言い、計算とは対立させた。「学ぶ」とはそういうものであり、それを可能にさせるのは「慣習」を維持する力である。しかし同じく彼は「よりよき人間通の判断からは、総じて、より正しい予測が出てくる」(同)と述べ、感情表現を例に挙げながら、判断よりもっと自然な直観的理解に場を与えていない。判断-予測はやはり計算の枠の中に留まる。
これは、実際に他者理解に困難を抱えていた彼が、「意味盲」を半ば肯定したことに関わるかもしれない。彼は言語が世界の構造を反映するものとする構想から、言語の意味を他者とのやり取りを含む使用の場面で考察することに移行した。その際、「内的過程」は意味に関わりないものとして削除される。彼は痛みを他人には分からない各人の箱の中の甲虫にたとえて、「甲虫」という語に一つの使用がありさえすれば、その中が各個別々でも絶えず変化していても、空でさえあってもよいかと論じる(『探究』[293])。痛みの場合ばかりでなく、理解・想像・想起・思考・・全てにおいて、内的な出来語の映像、心的随伴現象は、意味に何も寄与しない。「人が回すことはできても、それと一緒に他のものが動かないような車輪は、機械の一部ではない」(同[271])。或る人がチェスができるかどうか知りたいとき、「彼の内部で起こっていることなど、われわれに全く興味がない」。確かに、しかし自分がチェスを行う場合でもそうだろうか。言語の私秘性の否定(「私的言語」の否定)は、情報の伝達としての意味に関しては正論だが、その結果彼は、随伴する経験一切を機械の雑音のようなものとして廃棄するようである。彼は語の「意味経験」が言語の意味にとって全くなくても良いことを示すために、意味を経験しない者すなわち<意味盲>というモデルを仮想する。「私が<意味盲>という事例を想定したのは、言語を使用する際には意味の経験は重要性を持たないように思われるからであり、従って意味盲の人々は大したものを失うはずがないと思われるからである」(『心哲』1[202])。そのような人々は、「機械的に語っているような感じ」で、「われわれよりも生気に乏しい印象を与え、われわれよりも<ロボットのように>振る舞うに違いない」(同1[198])。それは一つには、非言語的non-verbalなコミュニケーションがやはりすべて雑音扱いされるからである。それでも、それが語を取り巻く雰囲気を感じないこと、語るとき意味を思い浮かべないこと以上の含みがないならば、「使用する際」に限らず大したものを失わないだろう。しかし、そこにはそれ以外の障害がある。「私が意味盲と名づける人は、『彼にBank[銀行/ベンチ]にいくように言いなさい。私が意味しているのは公園のベンチのことだ』という言いつけは確かに理解するだろう。だが、『Bankという言葉を言い、それによって公園のベンチを意味しなさい』という言いつけは理解しないだろう」(同2[571])。このような言いつけの理解は、自閉症者にとって困難である。このアフォリズムは、語のアスペクトを転換できない例であるとともに、そもそも使用法のストックが限られている例でもある。自閉症とは、極めて限定された、多くは私的な(自閉的な)規範に固執する以外拠り所がなく、人と人の間で慣習的に成り立っている自然な情緒的交流の広大な領野から疎外された事態である。彼は『心理学の哲学』周辺の草稿で「アスペクト盲」「意味盲」の概念を提出検討することで、自閉症的な関係性の欠損を示そうとしているようでもある。先に、「私的言語」論を見よう。
A彼が『探究』で導入した奇抜な設定は、哲学的には主体と意味・他者のインターフェースを探る思考実験であるが、同時に、自閉的関係の論理構造と心的機能の自閉的な障害を描写しているように思われる。
(a)「私的言語」論と「感覚日記」の場面。これは、“言語的表現”の外的基準が他者と共有されないとどうなるかを示している−−それは「同じ朝刊を何部も買う」ようなもので、自分の閉域の<外>のことを何も明らかにしないばかりでなく、自己の内的状態についての理解ももたらさない。この言語もどきの音声が、自閉症者の“言語”と同じ位相にあるのではないだろうか。そしてこの不一致は、通常の「生活様式Lebensform; form of life」との相違をもたらし、前者を−−或いはウィトゲンシュタインを−−共有されるべき慣習の世界から排除して意味盲へと追いやるようである。
ウィトゲンシュタインは提起する。「誰かが自分の内的経験−−自分の感じ、気分など−−を自分だけの用途のために書き付けたり、口に出したりできるような言語を考えることもできるのだろうか。[..]そのような言語に含まれる言葉は、それを話している者だけが知りうること、つまり、直接的で私的なそのものの感覚、を指し示すはずなのである。それ故、他人はこの言語を理解することができない」((28)[243]。ウィトゲンシュタインの論述は、仮想主張者との対話スタイルをとることが多いが、ここでは便宜上省略して引用する)。「普通の言語」による「独り言」は、これに該当しない。それは他人にも理解可能だからである。問題は、「私の内的経験を記述し、私だけが理解できるような言語」[256]が存在するかどうかである。彼は、極めて私的な経験である、痛みの感覚を例にとる。そこでは、痛みに相当する心の状態が個人の中にまずあってそれを「痛い」という語が記述しているようにも見える。そうすると、痛みの本当に私的な経験の部分は言葉で伝えられず、「他人はそれを推察できるだけ」で、「私が自分で知るのと同じ確実さでもって知るわけではない」[246]ようである。しかしこれは、「虚偽またはナンセンス」である。痛みの経験の私秘性は、知識の伝達可能性・所有の譲渡可能性から見て、推測に誤謬が入りうる他人の普通の振る舞いと大差がない。外から見て分からないように“堪える”ことも、私的言語ではなく通常の言語ゲームの一部である。それから、「知る」という表現は疑いが意味をなさない場面で使用するのは不適切で、「私が自分の痛みを知っている」とは「私が私の感覚を感じている」以上の意味がないのである。かくして実際には、痛みの語表現において、「言葉が根源的で自然な感覚の表現に結び付けられ、その代わりになっている」[244]。つまり、「痛い」という言葉の意味を知るのは、泣くことしか知らなかった子供がその言葉を「新しい痛みの振る舞い」としてどう使うかを学ぶことによってである。それは泣き声と等価の表出である。
では、通常の感覚表現が私的言語ではないことが明らかになったとしても、自分の中の新たな感覚を対象とする場合はそれに相当しないだろうか。次に、「もし私に感覚の自然な表出がなく、感覚だけがあったらどうか。今や、私は単純に名と感覚とを結びつけ、それらの名を記述に用いる」[256]という見方を検討しなければならない。いわゆる「感覚日記」は、この名づけの問題の考察である。「次のような場合を想像してみよう。私は、ある種の感覚が繰り返し起こることについて、日記を付けたいと思っている。そのため、私はその感覚を『E』なる記号に結びつけ、自分がその感覚を持った日には必ずこの記号をカレンダーに書き込む。[..]私は自分自身に対しては、[この記号の定義を]一種の直示的定義として与えることができる。[..]私はその記号を口に出したり、欠いたりして、自分の注意をその感覚に集中する[..]ことによって、私は記号と感覚との結合を、自分[の心]に刻みつけている」[258]。ウィトゲンシュタインの反論はこうである:その結合を将来正しく思い出すと主張しても、そのための正しさについての「基準」が欠けている。主観的な印象は規則ではなく、感覚Eが起こったという主張は、「そう信ずると信じている」以上ではない[260]。書き留められた記号「E」の記号内容を“感覚”と呼ぶには、人に了解されるための正当化が必要である。そのためには、「何か独立したところ」へと訴えなければならない。記憶をいくら想起しても、同じ朝刊を何部も買うようなものである。だから正当化を経ていない限り、書き留めることには何らかの機能があるにしても、「記号『E』には今のところまだ何の機能もない」[260]ことになる。「私的言語」と呼ばれるようなものは、「他人は誰も理解しないが、私は<理解しているように見える>音声」[269]である。そのようなものは、通常の言語ゲームの中に参入していないのである。
私的な内的感覚の表現は、どのようにして言語ゲームの中に入るだろうか。ウィトゲンシュタインの考えでは、それはやはり使用の外的基準を経ることによってである。感覚言語の特徴は、基準が指示を一義的に決定(固定)してしまうところにある。「自分に一定の感覚があるときには、いつも血圧計が血圧の上昇していることを示す」[270]という経験をしたとしよう。この感覚を、「E」と名づける。するともはや血圧計がなくても、「E」を用いることができる。仮に「E」と思ったが血圧は下がっているとすると、それは語「E」と対象のつながり(感覚の直示)において誤ったのではなく、血圧が下がっているときの感覚例えば「E'」と「E」の意味を誤解したのである。「この感覚」は「血圧が上昇する感覚」として同定されて「E」と名づけられ、それ以外の内包を持たないので、指示に誤りの余地はない。−−血圧計の比喩の含みは、おそらく彼が意識していた以上のものがある。それはBで取り上げよう。
このウィトゲンシュタインの基準の要請に対して、クリプキは「内的過程は常に『外的基準』を持っている、と考える見解は、経験的には偽であろう」と述べ、「自然な表現」を持たない感覚及び感覚言語が現に存在することを認める。それは定義上私的言語だが、十分に有効である。共同体は既に感覚言語の規則をマスターしたと見なしうる人間が導入する同定を、それが誠実な表明であることを唯一の公共的基準として、尊重する。これもまた「感覚言語に関するわれわれの言語ゲームの原初的部分」であろう。さもなければ、新しい表現はありえない。当然ながら、それが適切なものかどうかについては、あとから公共的な吟味を受ける。
この考え方によれば、内的過程に印を与える“言語もどき”の私的な使用は可能である。そして、自閉症の「音声」はそのようなものではないか、というのが私の想定である。それは反復使用されるが、あくまで内的感覚に基づいており公共性を欠く。私はここでは、自閉症者たちの“言語”が通常の言語を構成するものと同じ素材を用いつつどのように奇妙で、如何に上記の「私的言語」の定義がよく当てはまるかを実例で示すことは省略したい。より興味深いのは、そのずれの性質を理解することである。
ウィトゲンシュタインは「ライオンに言語があったとしてもわれわれには理解できないことだろう」(xi)と書いているが、ライオン相互は理解している可能性があるから、自閉症の場合事態はより深刻である。つまり、それは単に文化に相対的な文脈の不在という問題ではないのである。彼らの“言語”は出来事と個別的に密着し過ぎていて、辛うじて自らの感覚を指示できるが、その時その場を超えて一貫している対象を意味することはできない(彼らの経験においては、対象は各感覚要素へと分解dismantleされている)。そもそも、そのような経験全体を描写する言語的な枠組みが自閉症では殆ど欠けている。「何かを」「感じる」と新たに言うとき、そこで既に多くの共通言語が用いられている。例えば痛みを名づける際には「痛み」という語の文法が既に準備されており、それが新しい語の配置される場所を指示しているのである。「単なる命名が意義を持つためには、言語の中で既にたくさんのことが準備されていなければならない」[257]。
だから、自閉症において言語が貧困化する背後には、二種の障害を想定できるだろう。一つは名づけの場面が成立しないことであり、もう一つは、言語ゲームの基盤、前言語的な共有された世界から閉め出されることである。それによって、他者理解もまた著しく障害される。他人の痛みを理解することは、前言語的な「根源的反応」である。「それはある言語ゲームの基盤であり、ある思考の原型なのであって、思考の結果として得られたものではない」(29)[916]。「心の理論」の欠損とは、この「言語ゲームの基盤」を欠くことのもう一つの言い方である。
これが欠けると、その人の「生活様式」は通常の人とおよそ一致しなくなる(cf.「言語において人間は一致する。それは意見の一致ではなく、生活様式の一致なのである」(28)[241])。それは、異空間に住んでいるような根本的な疎外である。「規則に従っているとき、私は選択をしない。私は規則に盲目的に従っている」[219]−−こう彼が述べたとき、彼は前言語的な言語ゲームの原初性を擁護していた(「子供に伝えられる原初的な言語ゲームは正当化の必要がない」(xi))。その一方で、あらゆる根拠を宙吊りにしたことによって、「言語ゲームの基盤」を持ち合わせていないとき慣習についての自然な理解・内的実感がないままに規則に従わなければならないことになるのを含んでいたのである。ドナは語っている。「わたしは彼らのルールを尊重していないわけではなく、その場ごとに無数にある彼らのルール全てに、ついていくことができない・・」「他人の意思から起こることは不意打ち」だった。彼女は、「あらゆる行為には二つの定義、二つの捉え方がある..彼らにとっての定義と、私にとっての定義だ」「世の中にはルールというものがある、そしてルールは正しいものである」と改めて(或いは初めて)日常的なことから学習していかなければならなかった。或るものをこう見る或いはどう見るという水準で、他の人々とまず食い違ったのである。
(b)「アスペクト盲」「意味盲」という問題設定。既に「意味盲」は引用したが、それは『心理学の哲学』としてまとめられた草稿の段階でのみ現れる概念である。しかしここでは一連のものとして考えよう。「アスペクト盲」の概念の導入は、まず「アスペクト」の現象への注目から始まる(28)。ウィトゲンシュタインは、「アスペクトの認知」がそれまでの「或るものを見ている」状態から、それを「別のものとして見る」時に生じることを指摘する。逆に言えば、それまでただ「〜を見ている」限りで、アスペクトは見過ごされてきたのである。彼はさまざまな例を挙げているが、おそらく最も有名なのは「兎-アヒル」の絵(Jastrow図形)である。それは兎の頭の絵としても、アヒルの頭の絵としても見ることができる。どちらも直接的な知覚経験であって、点と線に解釈を加えた結果の間接的な経験ではない。一方から他方への移行は<閃き>である。ここで彼は、アスペクトを改めて見ることができるとはどういうことか、それができないとは何を意味するかを考えるために、奇妙な思考実験を行う。「或る物を或る物として決して見ないような人たちのことを、われわれは思い描くことができるだろうか。この人たちには重要な感覚が欠けているのではないだろうか。あたかも彼らが色盲であったり、或いは絶対音感を欠いているかのように。われわれはこのような人たちを、とりあえず『形態盲』ないしは『アスペクト盲』と読んでおこう」(30)[478](cf.(28)(xi))。彼は「この種の異常をわれわれは容易に想像できる」と言って、更に踏み込んだ議論をしていないので、「絶対音感の欠如」という例を手掛かりに、「アスペクト盲」がどのような事態か想像してみよう。
絶対音感は、幼少期の音楽体験によって内在化された音階の基準の体系である。これが欠けていると、音を聴くことはできても、たまたま覚えている音以外は何という音<として>聴き分けることはできない。アスペクト盲とは、このように知覚に意味を与える体系の欠損と考えてよいだろうか。しかし、それは単に記憶容量の問題ではない。絶対音感があれば、この世のあらゆる音を記憶しておかなくても、初めて聴いた音を位置づけることができるだろう。逆に、記憶だけで処理することは不可能である。
より一般的に言えば、基本的な十分な枠が備わっていること(「精通familiarity」)とともに、未経験の部分を補完する想像力のようなものが必須である。「ともかく、アスペクトと想像力Phantasieの間には連関がある」(30)[507]。想像力或いは空想が登場するのは、偶然ではない。アスペクトの問題が、「振りpretence」や「ごっこ遊びmake-believe play」に絡んでいることは、彼が挙げる例から明らかである。「子供たちのゲーム:彼らは、例えば一つの箱が家だと言う。するとその結果、箱は隅々まで家と解釈される。ある思い付きが箱に織り込まれる。[..]その場合、彼が箱を家として見ている、と言うこともまた正しいのではないだろうか」(28)(xi)。つまり、「アスペクト盲」は「ごっこ遊び」の不能であり、「『心の理論』仮説」から見た自閉症の基本障害なのである。 ところで、アスペクトの<閃き>を誘導することは、通常は不可能ではない。アヒルから兎へであれば、「嘴を耳として」「後頭の窪みを口として」「顔が左を向いているのを、右上を向いているとして」見るように、等の指示が理解される限りで。ところが、それが不可能なのが「意味盲」の場合である。ウィトゲンシュタインの定義−−「『この記号を矢として見る』といった言葉を理解できず、それを使用することを学びえない人のことを私は『意味盲』と呼ぶ。そのような人に対して『君はそれを矢として見るように試みなければならない』等と言うことは意味を持たないであろう。また人がそう言っても、その人には何の助けにもならないであろう」(29)[344]。それでもアスペクト盲者は「〜を見る」ことはできるので、想像力がなくても、指示がたまたま知っている語彙の中に含まれていて当たるという可能性はある。しかしそれは既に知っていることで、「〜として見る」という仕方自体を身に付けたわけではない。自閉症者たちの学習は、多くの場合その場に密着し過ぎていて、応用が効かない。ドナほどの高機能者でさえ、学習はそれを習った特定の状況にしか結びつかず、「ロビンのお母さんのために」(22)習ったことは、自分に何の関係もなかった。(より本格的な例は、例えばチャールズ・ハート著『見えない病』(晶文社)を参照のこと。)アスペクト盲の例をドナに聞いてみよう。彼女には「生きている動物と毛皮の間に、何のつながりも感じられず..」「牛cowが群れherdになると、私の頭から忽然として牛の姿が消えてしまう」のだった。このことは同時に、他者から見たアスペクトを共有できないことを意味する。
意味盲について、ウィトゲンシュタインはこうも言う。「もしも意味が心に浮かぶことを夢になぞらえるなら、われわれは通常は夢を見ることなしに語る。<意味盲>の人はいかなるときも夢を見ることなしに語る人であると言えよう」(29)[232]。これはたとえ言語的伝達において何が最も重要かを教えるための比喩にせよ、「意味盲」が失うものを示唆している。それは、「夢」で指示されている、私的で内的な経験の次元である。確かに、常に人に夢を語る必要はないし、意識する必要もない。しかし、全く夢を見ないとしたらそれは別の問題である。意味盲の人は<ロボット>化する(29)[324]、「心あるものの反対」となる。「意味盲」における想像力の欠如は、動機の理解の欠損をもたらす。相手の行為に、理由的意味すなわち含まれた意図を見て取ることができない。これもまた、「心の理論」の欠損に対応する。 ロボット化はおそらく「私的な対象を除去」した結末である。彼は私的な対象に欺かれることがなくなった代わりに、心のないmindless状態に陥っている(29)[985]。ここには二つの危険があるように思われる。一つは、私的な対象に拘泥して自閉的な世界に留まること、もう一つは、「慣用」という外的基準にだけ依拠して、張り付いてしまうことである(付着同一化状態−−ドナはおかしなことを教わってしまうと、「私は、いくら他の人にそれは嘘だと言われても、駄目なのだ。最初に言った人が話を撤回してくれない限り、混乱したり疑ったりしながらも、言われたとおりのことを信じ続けてしまう」のだった)。野矢はこの領域を主題的に扱った日本語で初めてのモノグラフ(19)の中で、「実践盲」者を更に仮想して、野球場での架空対話−−あたかもロボットと会話しているような−−を通じて、おそらくアスペルガー者と接した経験なくそれを再現している。 B最後に、逆方向の関わりすなわちウィトゲンシュタインが自閉症理解の発展に寄与する可能性に簡単に触れておきたい。
ウィトゲンシュタインの「アスペクト盲」「意味盲」についての考察は、一般にモデルからの哲学的演繹が抽象的になり過ぎてあまり遠くまで進まないのに対して、興味深い指摘を含んでいる。彼はアスペクト盲の困難を幾つか予想した。例えば、「彼は画像の中の運動の描写に全く理解を示さないであろう」(30)[483]。これは、彼らが物事を連続性において一まとまりの「〜として」捉えることができないからである。また、「意味盲」の人の了解の悪さは、彼らが変化に気づかないので、指示を受けても何を言われているか分からないから(29)[247]と考えられる。−−しかしこれらはいわば実用的なコメントで、量的に乏しく物足りない。
それよりも、理論的な寄与の余地があるように思われる。「感覚日記」の場面に戻ってみよう。血圧計を用いて自分の感覚を測る有り様はそれだけで自閉的だが、この「バイオフィードバック」には、対人関係の含みを持たせることができる。つまり、それを学習の場面として再構成することによってである。
彼が挙げた、「痛み」の感覚の例で見よう。学習を通じて、子供は泣き声の代わりに「痛い」という言葉を用いることを覚える。そこで子供は同時に、自分の感じている感覚が「痛み」と呼ばれるものであることを知り、それを応用できるようになる。このためには、教える大人の存在が不可欠である。これは単なる名づけではなく、「生活様式」を共有するようになることであり、共同の世界に入る過程である。なぜなら、それは言葉の使用法を共有するということに帰着するからである(言葉の一致)。ウィトゲンシュタインが明言したように、われわれはそこで規則に「盲目的に」従っており、慣習が規則の最終根拠である。ことからクリプキは、慣習の起点という或る時点で共同体の中で固有名が固定指示を得るための「命名儀式」があると想定した(11)。痛みをそれとして固定指示するこの学習の場面は、明らかに一つの命名儀式である。他者と共有される最初の学習場面は、母子関係である。「命名儀式」の場面は、共同体の歴史的過去ではなく母子関係の中に見ることができる。個体発生はここでも系統発生を繰り返すと言える。このことは、「痛み」の表現に限定されない。実際、あらゆる感覚・感情・意志・・つまり心の状態の基礎的な表現は、絶対音感のように身につけられる必要があり、通常この学習は、乳幼児期に達成される。それが成立するためには、母親によるフィードバックが必須である。
これは自分の心の状態を一般に、どうやって知るようになるかという問題に通じている。ハンガリーの研究者ガーグリー(5)(6)は、それを「親の情緒的鏡映のバイオフィードバックモデル」として提唱した。
乳幼児認知発達心理学の知見によれば、6ヶ月の乳児は行為者の振る舞いに意図を見ることができないが、9ヶ月から12ヶ月になった乳児は、行為者の目標を目指した空間的な動きの意図を理解し、それを基に新しい状況で目標に向かう行為者の行為を予測できる。この実験条件と結果の解釈の仕方について吟味する余裕はここではないが、相手の心の状態を理解し、それを相手についてのものと位置づける生得的な機構が9ヶ月の乳児で働き始めているというのが認知発達心理学的な想定である。認知心理学者にはおそらく、他者理解が可能かどうかという哲学的な問はない。それは「そうなっているからそうなる」というウィトゲンシュタイン流の答え方(或いは問題の消滅)で、問題は単に如何に、というメカニズムの解明である。それでも、整合性という基準は残る。乳児に生得機構を仮定するとき、それが強すぎると学習を説明しなくなるばかりか、乳児が全て初めから分かっていたかのような不適切なことになる。乳児が言語的に分節された意味の世界に入るためには学習が必要、とするのは妥当な仮定である。
メルツォフとゴプニックは、乳児が情動的状態を他者に賦与する生得的な機構についての新しい仮説を提出した(2)。彼らはまず、顔の表情による情動の表現と実際の生理的情動状態の間には、誕生時から双方向的なつながりがあるとした。そして乳児が大人の表情を真似るとき、自動的にその情動状態が自分の中で生起し、それに内省的に近づきかつ相手の情動状態として位置づけることで、大人の情動状態を理解すると考えた。しかしながら、乳幼児が自分の情動状態に内省的に接近できるのは実際にはかなり後のことである。
ガーグリーは同じ前提で、逆に乳児は外的知覚刺激のみに近づきうる、としてモデルを作った。つまり、乳児は自分の内的状態を、自分の表出(顔の表情)が親によって鏡映mirroringされフィードバックされる(血圧計がしているように)ことで知るのである。映し出されることで自分の心の状態を知るならば、それが<自分の>心の状態であって<相手の>心の状態ではないということが分かるメカニズムが必要である。「心の理論」を持つとは、心の状態を賦与する座として自己と他者を区別して知る機構があるということである。それは「振り」を理解できることに一致する。 鏡映は、現実(親の情動状態)と混同されないように印づけられmarked、乳児用の言葉や抑揚によって誇張されている。乳児は、親が示す情動のパターンと自分の生理的情動状態との空間的・時間的「一致congruence」を感じとり、それを自分の状態として登録する。ガーグリーは、この過程に含まれた「印付けmark」「情緒の鏡映mirroring affect」「一致congruence」を、レスリーの「指示の切り離しreferential decoupling」「写し出しcopy making mechanism」「指示の係留referential anchoring」にそれぞれ対応させて、これらの構造の相同性を示そうとしている。
「心の理論」仮説は元々認知的なもので、情緒的な意味を扱っていないし、情緒を表象-メタ表象の枠で理解してよいか疑問がないわけではないが、ガーグリーの考えは極めて興味深い説である。この領域が、夢想reverie(ビオン)・母親の原初的没頭(ウィニコット)・更に一般的に投影同一化の機制と重なることは、改めて指摘するまでもない。ガーグリーは引用していないけれども、ウィトゲンシュタインは、心が情緒的な意味を理解するようになる機構を母子のフィードバックに見る理論に、インスピレーションを与えている。
III.
これまで主として理論的著作から、ウィトゲンシュタインが自閉症的な経験と世界を的確に描写していることを見てきた。では彼自身はどのような人間だっただろうか。評伝は例外なく、彼が「風変わり」で「常軌を逸した人間」だったと報告している。彼は十四才の子供(ジョン・ライルの息子)にも、「恐ろしくおかしな人」で「聞いている人を疲れさせる」一方的な人と言われている。その一方で彼は、「真理の探究者」(Monk)として実際に関わりのあった多くの人から、彼の人柄の問題は脇に置いて畏敬の念で見られている。問題はどのように「風変わり」だったか、どのような「探究者」だったかである。それを調べるためには、多くの評伝があるにもかかわらず、十分な資料があるとは言えない状況である。彼の言動の外からの観察に基づく総括(例えばモンクによる、「気に入られようとし、進んでいうことを聞く子」「他人の欲求に従うようにという彼に課せられたプレッシャー」)は、既に特定の理論によって方向付けられている。それでも、そのような現象は多様な解釈を許容する(例えば、表面的に合わせようとしたのか、<理念>に支配されたのか、不確実さに耐えかねたのか)し、その背景にどんな機制を想定することも可能である。何よりも、そこでは器質的なもの(或る種の欠損)を見るべきところで心理的な解釈をしようとしている(葛藤を見ている)可能性がある。だから、彼に特徴的な振る舞いを集めるばかりでなく、彼の対象関係の質を評価するところから始めなければならない。
伝記作家たちによれば、彼の父親は精力的で自信と持続力に満ちた実業家で、息子たちの資質や好みに関わりなく、自分の価値観を押しつけた。母親は夫に全面的に依存し、その世話に没頭した。彼女は父親の子供たちへの厳しい態度を傍観し、子供たちのために責任をとる行動をすることはなかった。子供たちそれぞれの性格への理解力はなく、むしろ子供たちが母親を支えていた。マクギネスははっきりと「無能」と書いている。彼らの五人の息子たちのうち三人が自殺したのは、この家庭環境が、少なくとも救いにならなかったことを示している。ルートヴィヒの方では、母親に付きまとわれると感じていたようである。ただ、現在小児自閉症(精神分裂病でも同じことだが)の成因を、心因や環境因のみに求めることはない。より広い意味での(心因的な)自閉的傾向がパーソナリティの内にどう形成されるかに関して、タスティンが考えるように、子供の過敏性と相俟って、原始的な不安に対して包容機能を提供できない抑鬱的な母親の影響を認めることはできる。しかしそれは、転移の中におけるその再現が治療上意味を持つ、ということであって、それ以外の文脈で一般的に論じても意義に乏しい。ここでは家族関係に立ち入らず、彼本人にどういう特徴があったかを見ていくことにしよう。
彼は四才まで発語がなかったようである。それが平均的でないことは確かだが、これ自体では何を意味するとも言えない。発語の代わりに何があったのかに興味が湧く。しかし彼の乳幼児期については、殆ど報告されていない。周囲への注意と関心・抱っこされたときや人と接したときの反応・身体を揺らしたり回したりする癖・固執や儀式の傾向など診断的に重要となる項目の記載はない。彼を八番目の末っ子として生んだ母親は彼と殆ど接触がなく、養育婦や家庭教師たちは証言を残していない。それでも彼にはっきりとした特徴があれば姉たちは気がついていたことだろうし、その多くは自分でも思い出すことができるものである(グランディンは、自分の固執行動・音に対する過敏と鈍感・激しい癇癪・独りでいるのを好んだことなどを回想している)。だから、カナー型自閉症の症状(反響言語・人称代名詞の逆転・うつろう視線・奇妙な反復行動・限定的な固執・丸暗記など)はそもそも存在せず、他の「風変わりさ」も語り継がれるほどではなかったと考えておくことにしよう。但し、このことはウィトゲンシュタインにアスペルガー傾向Asperger traitsを認めることを排除しない。
子供時代・少年期を見てみよう。そこでも、自閉症児たちに特徴的な癇癪・驚愕・パニック・恍惚..などの原始的な情動反応や、言語的・非言語的コミュニケーションの明らかな障害は報告されていない。彼の高い声は吃音を克服した結果とされているが、「奇妙な喋り方」の内に入るのかもしれないが不明である。彼がよく単語を綴り間違えたことには、指標的な価値がない。特定の物への固執・単調な質問責めなどのよく知られている自閉症的な傾向の記述はない。しかしながら、後年ラッセルと出会ったときには四週間、ラッセルが服を着換えている間も議論を続けたのであり、それがこうした態度の初めての現れであるとは信じにくい。癇癪にしてもその激しさがムーアを寝込ませたほどで、それまでエピソードがなかったとは考えられない。拘りとしつこさは彼の基本的な性格特徴である。
また強迫的な疑問と熱中性は既に明らかであり、対人関係における奇妙さははっきりし始めている。彼は十四才まで学校に行かなかったので、集団場面での不適応はそれまで注目を浴びなかったのだろう。同期生たちは彼のことを「全くの別の世界から来たよう」と受け取っていた。確かに生まれ育ちが他の生徒たちと大きく異なっていただろうが、行き始めてからも馴染まなかったのは、社会的クラスの違いだけではない印象を与える。親密さの距離を測れないという問題は、ここではっきりしている。それに対する説明としては、@環境因子A心理因子B器質因子が挙げられる。すなわち、彼が不慣れな環境にいたことが最も大きな原因なのか、情動的な交流が嫌悪や恐怖、或いは理想化と幻滅の素早い交代によって維持されなかったのか、それとももっと器質的に、彼に対人距離を調節する能力がなかったのか(或いはそれが心因によって阻害されていたのか)、ということである。マクギネスは彼が労働者階級の子供相手にいつまでも敬称を使ったことを、「意識的に距離を置こうとしたから」と解釈している。それも一つの説明ではあるが、三年間学ぶ間に多少の適応の技術を身につけてもいいはずで、むしろ第一次世界大戦終了後も数年間同じ軍服を着続けたり、アイルランドに滞在中一度もランチのメニューを変えなかったり、という彼特有の常同性の現れの一つに思われる。
Aを重視すると、例えば彼の「友だちを作ろうとする度に裏切られた」という弁は繊細な心理を想定させるが、これを青年期に経験されるアスペルガー的な不適応と見ることも困難ではない。彼は子供時代を遡ったメモの中で、「周りの人に悪くとられるのを恐れた」「他人の目に私を良く見せること」を目的として嘘をついたと書いている。これは一見彼が「他者の心」を理解しているような印象を与えるが、むしろ高機能自閉症者の多くが適応パーソナリティを発達させようとするのに似ている(ドナの例)。ウィトゲンシュタインの「嘘をつけば有利になるときに、どうして真実を語らねばならないのか」といった行動原理を定めようとする態度は、その時その場での心の相互作用の機微とは無縁である。対人関係の問題が踏み込んで書かれていないのは、他者とのコミュニケーションが不良或いは不在でも、何が起きているのかに盲目なための可能性が高い。相手との距離がうまくとれないのは彼の生涯にわたる特徴で、学習の結果、関わり方が質的に変化する代わりに、付き合う相手を限定することで彼は適応を図った。
若いウィトゲンシュタインに友人が全く出来なかったわけではない。航空工学の研究をしていたマンチェスターで、四才年上の技術者エクルズが本や書類で散らかっていた彼の部屋を片づけてあげると、ウィトゲンシュタインは喜び、感謝した。伝記には「二人はすぐに親友になった」と書かれているが、これは親切な保護者への素朴な反応のようである。彼は親しみを感じると、いきなり特別待遇で相手をもてなそうとした。二人で遠出したときには、彼はマンチェスターからブラックプールまでの列車がないので、特別列車を仕立てようとした。エクルズに説得され思いとどまり、リバプールにタクシーで行くという別の案を実行したが、お金はやはりひどく掛かった。また、彼はケンブリッジで知り合って三週間のピンセントを長期旅行に招待して、相手の両親に驚かれた。旅行中彼が些細な手続きや順序の問題で大騒ぎし、それを解消するために独特の規則(例えば、食事時間を他の旅行客より一時間早める)を持ち出すので、彼から論理学について多くを学びつつも、ピンセントの方が相当気を遣って合わせた。ピンセントはのちにノルウェイに一緒に行ったときも神経過敏で絶えず様々な不安に襲われていたウィトゲンシュタインを介抱し続けて、帰国したときには、旅行は二度と後免だと思った。後の経済学者ケインズもウィトゲンシュタインに好意的だったが、この関係も友情と言うより彼への庇護の提供である。
青年になったウィトゲンシュタインにとって最も大きかった経験は、ラッセルとの出会いであろう。それは極めて印象的である。彼は面会の予約をとらずにいきなり彼を訪ね、フレーゲによる紹介についてもマンチェスターで工学を学んでいたことにも触れず、数学的論理学の議論を続けた。モンクは当惑しつつ、「これらの省略は奇妙ではあるが、多分ウィトゲンシュタインが極度に神経質であったこと以外には考えられないであろう」と推論している。このことは、彼が自分の知っている情報を相手が知らないかもしれないという考慮をせずに伝えなかった、言い換えれば相手がまだ知らずそれを知ることによって相手が自分をもっとよく理解できると想定できるような事柄に注意が及ばなかった、もっと簡単に言えばウィトゲンシュタインが「心の理論」を持っていなかったと考えるならばすっきり説明のつくことである。勿論、初めてフレーゲに会ったとき「散々にやっつけられた」ので根深く頭に来ていて省略したのかもしれないが、むしろカナーが記載したドナルドの行動を思い出させる。「彼は部屋に入るようにという招きを無視して、自分から遠慮なく入ってきた。一度入室すると、彼はそこにいた三人の医師(内二人は以前から知っていたが)には目もくれず、直ちに机に向かって行き書類や本をいじり出した」(カナー、1943)。ウィトゲンシュタインが誰からの紹介とも言わず相手の都合も構わず話しまくるラッセルとのこの出会いの場面は、アスペルガー型を彷彿とさせる。
最初の数週間、彼は講義の間中議論をリードし、講義が終わったらラッセルのあとについて部屋に入り、なお自分の立場を論じた。「しつこくって、手に負えません。..彼は推論の全ての攻撃に無感覚なのです。彼と話すのは全くもって時間の浪費だと思います」とラッセルは手紙に書いた。とは言え、ラッセルは彼を理解しようとした最初で最大の有力者となった。ラッセルは彼の才能を愛するあまり、彼のマナーのなさまで「真理を妨げるような虚偽の礼儀作法を無視」していると称讃した。頑固さや傲慢さと表裏をなすこの種の純粋さも、アスペルガー者にありがちの気質である。
彼はケンブリッジで自分の評判が悪い理由が分からず、ラッセルに尋ねた。ラッセルはウィトゲンシュタインを理解させるのに苦労し、「彼は少しばかり単純過ぎ」たので意味は伝わらなかったようである。結局ラッセルは彼のことを、正確ではあるが狭量で、世界の曖昧さ・不確かさを全く受け入れず、幼児のように理屈で正確さを強調している、と総括した。ムーアに至っては率直に、二度と会いたくないと言っていた。
彼は自分が思い込んだことにのめり込みがちで、他の人が憩いを求めて休日の散歩をしていても、研究の話ばかりした。そのため仲間との散歩から外されてしまった。これも彼がアスペクトの転換すなわち事態を他人の視点から見ることができなかった例である。
出会いの場面の奇妙さは、のちに彼が遺産を芸術家たちに寄付するために編集者フィッカーに会ったときにも現れている。彼は会った初日、金をどう配分するかという肝心の問題に一切触れず、自分の論理学研究・ラッセルの研究との関係・ノルウェイでの生活などについて話し、自分の呼んだ相手の用件には気が回らないようだった。そして分配された金が実際にどう芸術家たちに受け取られたか、彼は少しも関心がないのだった。
ウィトゲンシュタインとラッセルとの親密な関係は、長く続かなかった。ラッセルは一時、彼に「この世界の余計者」という思いを捨てさせることができたが、完全な理解を提供することはできなかった。この幻滅は、彼が不一致に不寛容だったことの必然的な結果と思われる。
ラッセルとの交友関係を絶つことで彼が自立を達成したとは言い難い。自己否定の思い−−自殺念慮と、周囲に不可解な転身−−アイデンティティを求める試みは、最初の著作『論理哲学論考』がなかなか日の目を見ないという不運がなくても続いたことだろう。その理由の一つは、周囲との根本的な違和感、世界への帰属感のなさである。従来彼が分裂気質者に数えられていた大きな理由の一つは、彼が「世界からはみ出した感じ」を持ち、自分を「無用の存在」と意識していることにあった。しかしアスペルガー者にとってもまた、不規則・偶然・不確実さに満ちた「世界」の「一寸先は闇」であり、その中に入ることができない。それは内向者の安定には程遠い、内的な不全感を伴う絶え間ない苦闘の過程である。自己否定は他人への容赦ない批判と表裏一体で、彼は相手を平気で屑扱いしたが、自分が鋭い批判を受けると「枝を全て切り落とされた木のように」感じた(スラッファとの議論のあと)。得意の絶頂から自分が気化してなくなったように落ち込む振幅は、言ってみれば誰にでもあることだが、外見に反して、揺れは自閉症者においても著しい。或るアスペルガー者は、自分が批判されると「まるで毒を浴びせられたよう」に感じる、とコメントしている。
別な理由は、彼の達成感の乏しさ・内的な不全感である。これは彼個人にとっての心理的指標であって、彼の哲学的達成や完成度と関係はないが、建築にしても音楽にしても、彼には「野生の生命」が欠けているように感じられた。音楽のように彼が親しみ理解できるものでも、彼の関心は「正確に演奏すること」にあり、創造よりも「再生」に興味があった。−−この点は、彼の転身の謎を或る程度説明するかもしれない。ノルウェイ行き・「福音書」を通じた宗教的改心・戦場へ・教師になること・ロシア行き・再び哲学者となること・・これらは、無人の自然から人への奉仕に移行していくという緩いつながりがありそうに見えるが、おそらく、関連性は殆どないというのが本当のところである。(正しい行為を行うことに極度の関心を持つのは、アスペルガー者の特徴ではある。)彼は自分がしようとしていることの実際を知らずに、その時々の<倫理的意思>で動いている。しかし戦場に行けば他の兵隊たちに辟易し、教師として働こうとしても行った先々で「まったくどうにもならない人々」を見出す。それは彼の理念が外的な出来事に張り付いて、兵隊になる・工員になる・教師になる・・というアイデンティティを彼に一定度与えたが、現場で柔軟に適応していくほど彼の存在に浸透しなかったということのようである。つまり、そのような役割同一性は彼に内的な変化も安定的なパーソナリティ構造ももたらさなかった点で、一種の「付着同一化adhesive identification」(メルツァー)、再生的な演奏と考えられる。
ウィトゲンシュタインは、なぜ彼が天分のある哲学を続けず小学校の教師になろうとしているのか理解できなかった姉に対して、姉が室内から窓越しに通行人の奇妙な動きを見ているようなもので、「そこにどんな嵐が荒れ狂っているのか、そしてその通行人がただようやくの思いで立っている、ということが分かっていない」と答えている。ここには二つの視点がある。一つは、通行人として荒れ狂う嵐の中をようやく立っているという認識で、もう一つは、窓越しに見れば奇妙な動きだろう、という姉に投影された自己理解である。すなわち、家という保護的な対象の内部空間から閉め出され、二次元において奇妙な動きを強いられている彼の人生のことのようである。(分析的な理解では、対象の中に入ることも対象を内在化することもできず、対象の表層に付着的に留まるのが自閉症に特徴的な対象関係である。)
彼は或る面では、教師として優れたものを持っていた。彼の熱意と巧みな技術は、彼を自閉症的と呼ぶのを躊躇わせるかもしれない。しかし、ドナもテンプルも達筆或いは能弁で指導を好み、人への関心が豊富である。ウィトゲンシュタインの問題は、それがまったく一方的なことだった。彼の態度と問題を、単に理想主義的或いはトルストイ的ロマン主義が内包するものと見ることはできない。彼は子供の側の心の状態つまり興味や関心には殆ど注意を払わず、ついて来れなければ体罰を与えた。彼は職務に献身的で自分の教育理念に忠実だったのであって、多くの生徒たちには恐れられた。彼は村人たちの生活の仕方には「殆ど同情を示さず、特にウィーンの洗練された友だち仲間の方をあからさまに大事に」していたので、一体何をしに来たのか、と訝しがられ、最後には追放された。多分これも彼の盲点が災いしたエピソードで、当人は自分の家族に決して会わず荷物も一切開封せず送り返しているのだから、十分つながりは断ち切り新しい生活を始めている、と思っていたのではないか。
対人関係の問題に戻ると、彼は友人を激しい熱意で求め、時にはそれが恋愛的な様相を呈したが、一般の同性愛関係と著しく異なるのは、殆どの場合相手の側は気づかず、ウィトゲンシュタインにも自分の感情を相手に伝える欲求を持っていなかったようだった点である。モンクが何度も書いているように、彼は友情であれ恋愛感情であれ、相手に伝えなかった。それは内気さや葛藤緊張があって伝えられないのではなく、もっと本質的な無関心のように思われる。
マルガリート・レスピンガーは、彼が唯一結婚を考えた女性とされている。彼女は「活発な芸術家タイプの若い女性」「哲学には全く関心を持たず」「献身的な誠実さを殆ど示さなかった」。−−しかし、ウィトゲンシュタインの方も、彼女に対してロマンチックになって自分の想像や空想に苦しめられた、という形跡がない。そこが最も非分裂気質的な反応である。先に書いたように、彼はマルガリートの心理を理解しなかったし、相手が彼の意思を理解するのを助けた様子もない。彼は或る時期毎日マルガリートに手紙を書いていたが、彼が「結婚」(プラトニックで子供のない関係)するつもりだと彼女が知ったのは、二年後だった。彼女はそこまで付き合う気がなかったので、直ちに身を引いた。
多くの場合、彼は相手の都合を考慮しなかった。だから、妻子が来て彼にそれほど時間を割けなくなったバジル・リーヴは、彼に「君は私が思っていたほどいい人間ではない」と言われてしまうし、脳卒中で倒れたムーアは妻にウィトゲンシュタインとの面談時間を制限するよう頼んだが、彼の方は、そこにムーアの意図ではなく単に妻の妨害を見た。
晩年のベン・リチャーズとの関係では、彼は愛の概念を発展させている。彼は、「他の人が何を悩んでいるのかを考えることが真の愛の印だ」と記した。心を見出そうとする哲学的な探究は、彼の実生活での人間関係をも変化させただろうか。但し、相手の心の状態についての彼の理解がどの程度相手に沿っているか分からないし、経験的実感に基づいた語りではなくて、福音書或いはどこかから学習したことを語っているのかもしれない。
以上のように、伝記的な事実からウィトゲンシュタインには明らかに自閉症的傾向が認められ、それをアスペルガー傾向Asperger traitsとすることは不自然ではない帰結である。しかし小論の焦点は、彼をアスペルガー症候群と診断することよりも、彼が著作の軌跡に「心の理論」を(その不在で)「示す」ことによって、自閉症の理解に理論的な寄与をしているのを見ることにあった。すなわちアスペルガー症候群からウィトゲンシュタインを見ることよりも、彼がそれをどう見ているかを読み取る方が、遥かに興味深いのである。とはいえ、後者は何らかの形でやはり彼個人を反映していることだろう。副題「アスペルガー症候群[から/を]見たウィトゲンシュタイン」は、その曖昧な関係を表現しようとしたものである。
参考文献(ウィトゲンシュタイン自身の著作については省略した。訳はほぼ既訳を参照した。)
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(16)Meltzer, D.: Adhesive identification, in Sincerity and other works, Karnac Books, London, 1994.
(17)Monk, R.: LUDWIG WITTGENSTEIN. The Duty of Genius, Jonathan Cape Ltd,London,1990.ウィトゲンシュタイン1・2、みすず書房。
(18)中井久夫・飯田真:天才の精神病理、中央公論社。
(19)野矢茂樹:心と他者、勁草書房。
(20)Premack, D. & Woodruff, G.: Does the chimpanzee have a ‘theory of mind'? Behavioral and Brain Sciences, 4, 515-26, 1978.
(21)Stern, D.: The Interpersonal World of the Infant, New York, Basic Books, 1895 .乳児の対人世界、岩崎学術出版社。
(22)Williams, D.: NOBODY NOWHERE, London, New York, Toronto, Sydney, Auckland, Doubleday, 1992.自閉症だった私へ、新潮社。
(23)Williams, D.: SOMEBODY SOMEWHERE, New York, Toronto, Sydney, Auckland, Doubleday, 1994.心という名の贈り物、続・自閉症だった私へ、新潮社。
(24)Williams, D.: Autism, An Inside-Out Approach, Jessica Kingsley Publishers, London, 1996.
(25)Wing, L. & Gould, J.: Severe impairments of social interaction and associated abnormalities in children: epidemiology and classification. Journal of Autism and Developmental Disorders, 9, 11-29, 1979.
(26)Wittgenstein, L.: Tractatus Logico-Philosophicus, Tr. by Ogden, C. K. Routledge & Kegan Paul Ltd., London, 1981. 論理哲学論考、ウィトゲンシュタイン全集1、大修館書店。
(27)Wittgenstein, L.: Notebooks 1914-1916, Basil Blackwell,1961.草稿1914-1916、ウィトゲンシュタイン全集1、大修館書店。
(28)Wittgenstein, L.: Philosophical Investigations. Tr. by G. E. M. Anscombe, Basil Blackwell, 1958. 哲学探究、ウィトゲンシュタイン全集8、大修館書店。
(29)Wittgenstein, L.: Bemerkungen uber die Philosophie der Psychologie, Basil Blackwell, 1. 1980, 心理学の哲学、ウィトゲンシュタイン全集補巻1、大修館書店。
(30)Wittgenstein, L.: Bemerkungen uber die Philosophie der Psychologie, Basil Blackwell, 2.1988. 心理学の哲学、ウィトゲンシュタイン全集補巻2、大修館書店。
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