|
|
ビオンはフロイトを如何に越えたか (イマーゴ96-2『特集フロイト』)
福本 修
I.
フロイト以後に現れた精神分析の改革者は数多くいるが、理論家で際立った者を幾人か挙げるとすると、そこにラカンと並んでビオンW. R. Bionを含めることに殆ど反対は生まれないだろう。両者の共通性の一つは、精神分析を“科学化”しようとしてさまざまな工夫を試みたところにある。ラカンがマテームという学素の純化にこだわったのに対して、ビオンの試みは独自の記号法を用いた体系化から出発して、「科学」の相対化に至り、最終的に文学的技法を取り入れて新しい思考を盛り込もうとした(『未来の回想』三部作」)。どちらも徹底した思考と実践の果てのものだが、異なるのは、保守的な態度を維持する部分である。ラカンはIPAの勧告を退けて短時間セッションを導入した点では革新的だが、「神経症」「精神病」「倒錯」という構造区分に関しては、極めて保守的である。これまで発表されたものから窺われる限りでは、彼はテキストの読解に直観を発揮しても、「経験から学ぶ」意向が感じられず、元より発達や乳幼児には関心がない(「鏡像段階」の乳児についての僅かな記載は、むしろ興味の乏しさの証だろう)。それに対して、ビオンは50分週五回の分析を固持する点で保守的だが、事象を理解する枠組みに関しては極めて革新的で、経験論的・懐疑論的だった。
このように、二人に同じく理論的という形容詞を使うことが可能でも、志向上の違いは明らかだろう。両者のもう一つの違いは、ラカンが次々に精神分析外の科学例えば言語学・修辞学・代数幾何学・記号論理学を用いて考え続けるときに、自分の現場が増えている様子はないが、ビオンの場合には、常にメラニー・クラインとの内的外的な対話があり、そこに新たな実践が伴っていることである。ラカンとの比較はここまでとしよう。ビオンの業績を要約すると、彼はメラニー・クラインによる児童分析と精神病的世界の理解を受け継いで、フロイトが思弁を展開するに留まった集団の無意識的力動・精神分裂病の精神分析・乳幼児的前言語的母子交流とその情動的経験の理解の領域で、更には、メタ心理学に思考の生成と思考装置の発達という独自の認識論的或いは存在論的観点を追加して、今日の精神分析の礎となる極めて重要な仕事を行った。精神分析の発展におけるフロイト-アブラハム-クライン-ビオンという一大潮流は、ほぼ共有された理解である。だからクラインに殆ど触れずに直接フロイトと対比することは乱暴なのだが、ここではビオンのメタ心理学的構築の特徴を捉える便宜として行うことにする。
II.
真に革新の名に値する変革を用意するのは、単に先人の業績の総括と批判ではなく、その者が経てきた経験の質或いはその理解である。それの意義はおそらく生い立ちや無意識の世界に遡られるが、通常の意味での経験も、のちの思考形成に寄与するだろう。
例えば、フロイトとビオンによる集団の理解の大きな理論的相違点は、前者が神経症的葛藤・全体対象的関係を扱うのに対して後者が精神病的不安と防衛・部分対象関係に焦点を当てるところにある。これは観察した集団の差でもあるし、経験した集団の差でもあるだろう。フロイトは精神分析を創始する前に、催眠に強い関心を持っていた。彼が『群衆心理学と自我の分析』で同一化の対象として何度も引き合いに出す指導者は、催眠術者である。そこでの中心的機制は摂取introjectionである。彼自身が形成し維持しようとしていた集団すなわち精神分析界では、ユング・アドラーら後継者候補と或いは弟子たちといつも主導権及び正統性が争われており、指導者の与える影響が重大な問題だった。それに対して、ビオンにとって集団の指導者は、他のメンバーもそうであるように基礎仮定の投影projectionによる産物である(2)。つまり、指導者は強い意志と支配力によって集団に影響を与えるのではなく、現実から遮断されがちな個々のメンバーの要求すなわち基礎仮定を満たすように逆に動かされがちである。おそらく彼は、命令系統が寸断され歩兵が戦車に突入した第一次世界大戦の戦場で、集団のそのような力動を生で経験したことだろう。或いは十代の時の寮生活での最初の孤立と孤独、得意のスポーツを通じて交流が成立した経験もまた、「作業集団」と「基礎仮定集団」についての彼の理解に何らかの寄与をしていることだろう。
精神病者との関わりにおいても、両者は大きく異なる。フロイトが考えた「精神病の現実否認」は最初「ヒステリー性精神病」と結びついていた。彼の精神病の分析的知見は主にタウスクら弟子の経験か病者の記録の分析に基づくのに対して、ビオンは他のクライン派の分析者たちとともに、精神病者を直接精神分析していた。フロイトもまた精神病者に現実との接触があること、言い換えれば神経症的な部分が存在することを認めていたが、それを理解するためには、クラインの投影同一化の概念とともに(広い意味での)逆転移の分析が不可欠だった。ビオンはその探究の過程で、投影同一化に原初的なコミュニケーションとしての意味を見出した。このように深い水準での微妙な力動の理解は、個人的背景やその自己理解と不可分だろうが、両者の理論の差を単純に気質や生育環境の特徴に還元することは、実際に資料不足で無理なばかりでなく重要な細部を失うことになるだろう。
フロイトは初め第一局所論(意識/前意識/無意識)とエネルギー経済論の枠組みで精神病の世界を理解しようとした。妄想は、事物表象から退行したリビドーが再建の試みとして語表象に過備給されたものである。ここには対象関係論的・発達論的或いは生成論的理解がない。ビオンはフロイトが『精神現象の二原則に関する定式』で想定した心的装置の現実原則に対応した発達を採用しつつ、<聴覚−語>の段階を遡って<視覚−像>、イデオグラムの段階を設定した。フロイトでは、心的装置が処理しようとする「現実」は単なる外的知覚ではなく欲動だが、説明上外的現実への対処を例にとっており、この点は曖昧である。クライン特にその投影同一化の概念を経たビオンにとって、内的現実と外的現実の区別はない。最終的に問題なのは、情動的現実のみである。
ビオンは精神病者特有の無意識的空想を見出した。それは、自己の知覚装置を攻撃破壊し、更にその断片を感覚入路の逆行によって感覚器官から排泄できるという空想である。クライン派において無意識的空想は心的機能の在り方そのものなので、患者は実際にその空想に沿った障害を被る。無意識的空想或いはそこを舞台とする内的対象はクライン派では一次的存在であり、何かから演繹されるものではない。それらがどのようにして変化するのかは一種の謎だが、ビオンは幻覚生成の過程を臨床的に確認できたと信じた。実際に患者の分析は、彼に幻覚生成から夢生成への移行を示した。それは後に「アルファ機能論」として、フロイトのメタ心理学を書き改めて、新たな枠組みを用意することになる。次に、フロイトとビオンのメタ心理学を対比しよう。
III.
ビオンは『科学的心理学草稿』におけるフロイトの用語とスタイルを踏襲し彼のメタ心理学に依拠しつつも、その見取り図を大きく書き換えた。それは、ビオンが演繹的体系を構築しようという動機は共有していても、フロイトと全く異なる<心のモデル>を持っていたためである。
どちらも科学性が隠喩以上のものではないという意味では、フロイトの神経解剖学的用語系とビオンの化学的-論理学的用語系との間に、大きな差はない。幾つかの用語及び法則は共通であり、具体的に対応関係を示すことが可能である(「接触障壁」、φ・ψニューロンとβ・α要素など)。もっとも大きな違いは、ビオンが心の成立場面を論じようとしたときに、機械論から生気論に帰ったことだろう。フロイトのように発生的に見えても実際には心の機能をシミュレートしている限りでは、のちのフランス現代思想が行ったように主体を解体し意味の経験を差異或いはシニフィアンに還元することが可能である。ビオンは意味(α要素)と非意味(β要素)の境界に、アルファ機能という生気を吹き込む謎の機能を導入した。それによって、消化・吸収・排泄・成長・発達などの生命の隠喩がビオンの用語系の中に組み込まれた。
しかしまた、フロイトのモデルが機械論的なので19世紀的な限界があると単純に断じることはできない。そこには、コンピュータ的なランダムによる意味の発生という理解がありうる。ニューロンの離散的構造は、のちに言語が持つ同種の構造と重ねられ、シニフィアンの差異(無意識)が意味内容を規定する点で、フロイトは差異の思想を導入して人間中心主義・自我中心主義を脱構築したとされた。フロイトでは神経から意識への飛躍が理解困難だが、ビオンは原始反射も情動の原始的表現として認めた。しかし非意味の領域は、そのことによって消失しすべてが再び人間化されたわけではない。或いは、情動的な意味の生成の問題はなくなったのではない。ビオンはOすなわち未知の究極の現実の次元とその容器としての「思考する者なき思考」を認めた。むしろ、ベータ→アルファの移行は更に謎が深まったのである。メルツァーはmindlessnessとしてこの周辺の問題を総括した(3)。こうして、ビオンは科学的或いは記号論的であろうとしつつ生気論を導入していたとすると、彼の中で精神分析の位置づけが次第に神学的なものへと変容していった(『変形』参照)のも頷けることである。
ビオンの生気論を更に言い換えると、心は理解を提供する情動的経験の容器を求めており、そこでのみ経験を“消化”するための装置を成長できるということである。これはフロイトが考えた早期発達状況を、二重に修正している。第一に、心の成立には容器としての母親が不可欠であること、第二に、現実原則は快感原則が成り立つようになってから乳児に登場するのではなく、萌芽的な能力として初めから備わっていることである。ポジションとしての構造は未形成でも、力動としてのPs←→Dの揺れは最初から存在する。容器がないとき、すなわち母親がアルファ機能を提供しないとき、パーソナリティは精神病的部分を発達させる。その後の展開について、ビオンは幾つかの可能性を示唆する。一つは、アルファ機能が逆転し、奇怪な対象を排出する事態である。パーソナリティが各機能へと断片化され投影される。もう一つは、混乱が身体の側に押しやられる身体-精神病である。更には、パーソナリティ内の基礎仮定集団を、無思考mindlessの社会的形態の中に生活化することである(3)。
ビオンにおいて更にフロイトと異なるのは、夢の位置づけである。フロイトにとって夢作業は一種の翻訳で、顕在内容があることは必然的に潜在内容が先行していたことを意味する。しかしビオンにとっては、夢を見ることができることは内的な世界を持つことができることと同義であり、投影同一化を中心とした排泄的機制による幻覚の排出から摂取したものを象徴形成を通じて保持するようになったという大きな達成である。フロイトは夢を夜間睡眠時の現象と見なしたが、ビオンは覚醒時にも無意識的夢思考が働いているとした。その前提は、夢が意識と無意識の間の接触障壁として機能し、無意識内容を選択的に透過しつつその世界を保護していることである。そこに混乱が(より正確にはベータ幕が)生じたのが、精神病的状態である。(なお、フロイトからクラインを経てビオンに至る夢理解の推移に関して詳しくは、メルツァー翻訳に付けた解題(「意味生成の場としての夢生活」)を参照されたい。)
以上を大まかに要約すると、フロイトは後に(特に『喪とメランコリー』以後)更に遡行を試み構造を論じたにせよ、主として心が既に成立している神経症のための見取り図を描いたのに対して、ビオンは心の成立過程或いは乳児的心性とその障害である精神病的世界を扱った。このことの一つの帰結は、治療機序の理解の変化である。フロイトのエネルギー経済論的-力動的枠組みでは、治癒は抑圧の解除すなわち無意識の葛藤の言語化によってもたらされる。それに対してビオンの包容モデルでは、成長を可能にする対象-空間を提供し、そこで投影同一化と摂取同一化を通じて心的機能が内在化されることを目指す。治療は知的理解ではなく新たな成長を促すために必然的に長期化し、フロイトの時代には数カ月が平均的だった治療期間は、今日では数年から十数年掛かることが珍しくなくなっている。この過程を通じて、「心的空間」という空間の隠喩と「喪失」という非可逆的時間が、経験として意味を持つようになる。
最後に、エディプス神話の理解と使用法の相違について触れておこう。周知の通り、フロイトではエディプス・コンプレックスは、性関係を基軸とした、イオカステを巡るライオスとエディプスの間の葛藤に関わる。ビオンが取り上げたのは、心的内容ではなく自我の構造や心的装置の断片としての神話である(1)。これは、エディプス・コンプレックスを最終産物と見なすクライン派の見解と一致しており、最早期の構造化の問題から、精神病ばかりでなく思考障害(抽象的・象徴的理解の不能)・精神病的なものの防衛としての知性化・自己愛的防衛を理解しようとしている。
こうしてビオンは、クラインの好奇心・認識愛的衝動から出発して、<知ること>の領野を研究し、メタ心理学に「認識論的次元」(メルツァー)更には存在論的次元を追加したのである。
(1)Bion, W. R.: Elements of Psychoanalysis, Heinemann Medical Books,1963.(福本訳『セヴン・サーヴァンツ(上)』、法政大学出版局)
(2)Ble´andonu, G.: Wilfred R. Bion: his life and works, 1897-1979, tr. by C. Pajaczkowska, Free Association Books, London, 1994.
(3)福本修:メルツァーの発展、現代のエスプリ、1995.
|